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【袁紹と曹操】因縁の三国志人物たち(運命の二人)④【三国志 英傑群像出張版#31-1】

文:電撃オンライン

公開日時:

 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。

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 『因縁の三国志人物(運命の二人)』というテーマで武将二名をピックアップして、三国志演義(物語)、正史三国志(歴史書)、民間伝承などから紹介していく企画の第4弾になります。

 今回の因縁の二人は【袁紹と曹操】。

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 若い頃からの友人でありライバルの二人。最終的には群雄同士の戦いとなり、曹操は勝利し覇者になり袁紹は負けて失意のうちに病死。

 横山光輝三国志を見ていると大幅にカットされており袁紹と曹操の最終決戦は見れないため“官渡の戦い”の概略も含め、今回は対象的な結果となった二人について深堀してみたいと思います。

 それにしても三国志の登場人物はあの広い中華の中で、しかも1800年前にかなり多くの主要人物に面識があったりするという奇跡的な部分があります。

 たとえば群雄のトップの曹操、袁紹、さらに劉備、呂布など敵味方の関係を繰り返すので面識があったりします。

 
<特に袁紹と曹操は子供の頃からの友人!>

 それが群雄同士で戦うことになる心境ってどんなものだろうか? という思いから今回選んでみました。

 彼らについては主役級なので、詳細にまとめると長くなるので関連するところだけをざっとまとめて見たいと思います。

曹操、袁紹とはどんな人かざっくりまとめると


●曹操
・宦官(去勢された皇帝の世話役・政治にも関与)の祖父、金で高位を買った父の子として
・いじめや反発からなのか若き日は不良気味。役人になってからは出世を重ね
・群雄が割拠する中で皇帝を手中に収める事で優位性が増し、三国の一つ魏の礎を作った。
・圧倒的不利な中、袁紹との“官渡の戦い”で勝利し最大勢力となった。

●袁紹
・歴代の高官を排出する名家の出身。大将軍・何進の副官として宦官と対立。
・何進を暗殺した宦官らを壊滅させる。董卓に朝廷を牛耳られると反董卓連合を結成し代表になる。
・同盟解散後、北方の河北四州を支配し中華最大の勢力となる。
・圧倒的優位な中、曹操との“官渡の戦い”で敗れ、その後失意のうちに亡くなった。

 共にほぼ同年代で若くして“西園八校尉(霊帝が支配力回復を目指し作った制度。8名任命)”に抜擢されます。

“官渡の戦い”の概略

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・三国志の英雄曹操と当時最大勢力を誇る袁紹との戦いで三国志における天下分け目の戦いの一つ。
・日本の戦国時代でいえば、当時の新興勢力織田信長と名門武田勝頼の戦い“長篠の戦い”が似ている。
・織田信長は鉄砲を活用したが、曹操は投石器【霹靂車】を使って官渡城を守りぬいた。
・西暦200年曹操に敗れた劉備を受け入れる形で袁紹は大義名分がたち、曹操攻撃を開始。
・“官渡の戦い”の前哨戦である“白馬の戦い”で顔良・文醜という袁紹軍随一の武将を失う。
・正史では袁紹軍10万VS曹操軍1万(諸説あり)、三国志演義では袁紹軍70万VS曹操軍7万とされている。
・曹操は前述のとおり官渡城を一カ月守り抜き、袁紹の参謀の一人許攸が降伏した事で補給基地・烏巣を焼きうちし勝利を掴んだ。

史実(正史三国志)


 まずは史実(正史三国志)です。袁紹と曹操の関連する話において、「三国志演義」とあまり大きく変わることはありません。

・若い頃の袁紹は腰が低く謙虚、人材が集まり行動力も豪胆さもあった。しかし、勢力を増すとその輝きを失い、人材に対しても形だけの対応になった。
・袁紹は反董卓連合中に献帝に代わり劉虞(りゅうぐ)擁立を相談するも曹操らに反対された。
・袁紹と曹操は史実でも若くから友人関係。長く友好関係にあった。呂布が反旗を翻した時も袁紹は曹操を支援。曹操が献帝を擁する頃から関係が悪化し敵対する。
・曹操は袁尚の子らに勝利すると財産を妻たちに返し、袁紹の墓で号泣した。
・共に後継者問題では苦労した。しかし曹操は袁紹の失敗を参考に最終的に長男を跡継ぎにした。

物語(三国志演義(全120回))


 物語(三国志演義)での二人は以下の回に登場します。

・曹操:第1回~第78回(全体の約半分出演)
・袁紹:第2回~第21回(全体の約1/4出演)

【三国志演義の伏線と二人の関係まとめ】
※袁紹と曹操が若いうちから友人という表記は見当たりません

・第2回:曹操は何進に宦官殺戮は時期尚早と止める。
・第2回:霊帝崩御後、袁紹は何進と宦官誅殺に向かうも何太后に止められる。
・第2回:袁紹は「地方勢力を都に呼んで宦官を倒そうと提案」し何進承諾。
・第3回:曹操らは反対。何進は聞く耳を持たず袁紹に各地へ密書を送る。
・第3回:何進の宮中参内を曹操・袁紹らは反対するも聞く耳を持たず十常侍に殺される。
・第3回:袁紹・曹操らは宦官を皆殺しにする。そのどさくさで董卓が朝廷を掌握。
・第4回:袁紹は董卓と対立し冀州へ帰る。懐柔すべく袁紹を渤海太守に任命した。
・第4回:袁紹は王允に董卓討伐軍を提案する。曹操は董卓暗殺を企てるも失敗し譙郡へ帰る。
・第5回:曹操は檄文を各地へ送り「反董卓連合」結成。袁紹を盟主とした。
・第5回:華雄を討つと関羽が名乗り出ると袁紹は反対、曹操は賛成した。結果、関羽勝利。
・第6回:長安へ逃げた董卓を追わぬ袁紹、追う曹操。結果、曹操大敗。「反董卓連合」解散。
・第7回:袁紹は冀州を掌握
・第13回:曹操と呂布が対立すると袁紹は曹操を救援する。
・第14回:曹操は長安から逃げてきた献帝を許都に迎え大将軍となる。
・第18回:袁紹が曹操に公孫瓚攻撃の兵借用を願う→曹操承諾したふりで大将軍職も譲る。
・第18回:郭嘉が、曹操が袁紹に対して「十の勝因」がある事を語る。
・第21回:曹操は劉備に袁紹は「胆が据わっておらず策謀を好むが決断力がない」などと評価
・第22回:劉備の依頼をうけて袁紹、曹操と戦う。2カ月向かい合い終了
・第24回:劉備の依頼をうける袁紹、子供の病気を理由に断る
・第25回:白馬の戦い 袁紹軍の顔良が関羽に斬られる。
・第26回:袁紹軍の文醜、関羽に斬られる。
・第30回:官渡の戦い。官渡城を曹操守り抜く。許攸が寝返り、兵糧庫を焼いて曹操勝利
・第31回:倉亭の戦い。「十面埋伏の計」で曹操勝利。
・第32回:袁紹病死 202年5月(曹操と同年とすると47歳ぐらい)

横山光輝三国志


 漫画版では、雑誌の休刊などの理由で“官渡の戦い”は1ページだけに超短縮され、結果だけで袁紹の死のシーンは描かれていません。なお、前哨戦の“白馬の戦い”は描かれています。

 しかし、アニメ版では“官渡の戦い”が再現されています。

三国志平話(三国志演義の原点)


 こちらは袁紹も登場するも、特に三国志演義や正史三国志との差で目新しい点はありませんでした。

民間伝承


 若いときの彼らの話がいくつか残っており既に有名なので概略のみざっと以下に紹介します。

①:曹操は「私の睡眠中に近づくな!無意識に斬ってしまう。注意せよ!」と言った。その後ある人が曹操に布団を掛けようとすると曹操は斬り殺した。これにより睡眠中に近づくものはいなくなった。<世説新語>

②:曹操は「人からの殺気を探知できる」と言い。部下に罪に問わないから突然斬りつけるように言った。部下が様子をみて斬りつけると曹操は彼を斬り殺した。これにより曹操に近づいて暗殺するものはいなくなった。<世説新語>

③:袁紹が人を遣わし夜に曹操に刀を投げさせたが低くて当たらなかった。曹操は次高めに飛んで来ると予想し寝所に横になった。結果2投目は高くなり曹操に当たらなかった。<世説新語>
※(①②を受けた行動③(遠隔攻撃)かもしれない)

④:曹操は若いとき、袁紹と悪友だった。曹操と袁紹は、知らない新婚の家に忍び込み刀を振りかざして新婦を脅し連れ出した。袁紹は逃げるときに迷って棘の木に引っかかり身動きができなくなった。 曹操は咄嗟に「ここに泥棒がいるぞ」と大声で叫んだ。袁紹はびっくりして逃げだして捕まらずに済んだ。<世説新語>

★④の異説:私の調べた民間伝承では④には異説があります。ご紹介します。
・曹操を袁紹は宦官の家の子として軽蔑していた。
・彼らの友人が結婚するので二人で駆けつけた。
・<夜、新婦をさらう所は同じ。棘に引っかかった袁紹も同じ>
・曹操は新婦をすぐに解き放った。
・袁紹は棘から抜け出せないまま、捕まって皆に殴られた。
・曹操は「殴るのは辞めましょう。彼は友人でふざけただけです。」というと許された。
・袁紹は「君はいつも私の一歩先をいくな」と言って軽蔑を辞めた。

まとめ


 幼い頃から二人の関係はずっと良好でしたが、お互い勢力を持つに連れて二人は宿敵同士になります。

 史実に記載はないものの③を見ると暗殺未遂事件まで起こしていることになります。

 腰が低く謙虚だった人が大きな勢力を持つにあたり初心を忘れ傲慢になってしまった袁紹。

 判断力も鈍り人材をうまく活用できず人材が次々と去り、人材活用しなかった結果、許攸などの裏切りと、顔良・文醜という武の二枚看板を失った事で、圧倒的有利であった「官渡の戦い」で大敗したことは身から出た錆と言わざるを得ません。

 三国志演義では、民間伝承を利用して話が出来上がることが多いのですが、袁紹と曹操が友人だったという史実にもあるくだりが採用されていません。珍しい。

 ただ物語では大体において【曹操と袁紹の行動が逆張りになっている】事に気が付きます。

 曹操が反対すれば、袁紹は賛成する。ライバル同士でわざとそうなるように作られているのかもしれません。

 次回は、2人にまつわる民間伝承をお送りしますので、お楽しみに!

桃園の智会 第8回は8/11(日)に開催!


 【テーマを決めて順に一言発言】というルールで、初参加、恥ずかしがり屋さんでも平等に楽しめる三国志交流会“桃園の智会 第8回”を8/11(日)に実施します。

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 まだ少し先ですが、ご興味があればぜひ参加してみてくださいね。

桃園の智会第8回 開催概要
日時:8/11(日)16時~19時半ごろ
参加費:1000円(お茶、茶菓子付) 要予約
※学割アリ。100円引き
お問い合わせ:三国志ギャラリーまで(078-641-3594)

コラム未公開! 関羽の民間伝承パネル展示中


 春の三国志会で初公開した、本コラムで未公開の関羽の民間伝承が掲載されているパネルですが、こちらは引き続き展示を継続しております。

 7月末位までは展示しておくつもりですので、KOBE鉄人三国志ギャラリーのお近くに来られた際は、ぜひお立ち寄りください!

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岡本伸也英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!

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