12月20日~21日にパシフィコ横浜ノースで行われた“お城エキスポ 2025”にて、『信長の野望』『三國志』の生みの親であるシブサワ・コウ氏によるトークライブが実施されました。その内容をレポートしていきます。
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シブサワ・コウ氏:『信長の野望』『三國志』シリーズ エグゼクティブプロデューサー
小笠原賢一氏:『信長の野望』シリーズ プロデューサー
越後谷和広氏:『三國志8 REMAKE』プロデューサー
『信長の野望』シリーズ生誕に関わったのは……任天堂の株!?【シブサワコウトークライブレポート】
トークライブでは、まずコーエーがいかにして『信長の野望』シリーズや『三國志』シリーズを開発するに至ったかの歴史について語られました。
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元々は染料や工業薬品を扱う染料問屋を家業として営んでいたシブサワ氏。しかし、東南アジアや中国からの輸入品増加により、日本の繊維産業は厳しい状況に置かれたといいます。
1978年、27歳で株式会社コーエイ(光栄)を創業したものの、創業から2年間は「悶々とした日々が続いた」と振り返っています。
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そんな日々のなか、転機が訪れたのはシブサワ氏が30歳の時。シャープのパソコン“MZ-80C”を手にしたときでした。初めてパソコンを手にしたときを振り返り、「パソコンとの相性が良かった」「プログラミングが面白かった」「ゲームとの相性が良かった」と語るシブサワ氏。このパソコンとの出会いが、ゲーム制作への転身のきっかけとなり、つまりは『信長の野望』シリーズ誕生のきっかけになったといいます。
なお、パソコン購入の資金は、シブサワ氏の妻である襟川恵子氏が保有していた任天堂株4000株を売却することで賄われたといいます。間接的に、任天堂がコーエー設立の契機となったことに対して、シブサワ氏も「縁ですよね」と語っていました。
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当初は在庫管理や工程管理などの業務用ソフトも制作していましたが、同時期に開発していた『川中島の合戦』や『信長の野望』がヒットしたことで、ゲームソフト開発に専念することに。
開発体制は少人数で、パソコンショップに集まる学生たちとの交流の中から、プログラミング能力の高い人材をアルバイトとして迎え入れ、制作を進めていったといいます。
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そして1985年、『三國志』シリーズが誕生。日本における歴史シミュレーションゲームのもう1つの柱となりました。
シブサワ氏は三国時代の魅力について、日本の戦国時代と同様に、個性豊かな人物たちがそれぞれの志を持って行動する点に強い魅力を感じ、ゲーム題材として非常に適していると考えたと語っています。
開発チームが振り返る『三國志』シリーズの変化【シブサワコウトークライブレポート】
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次に語られたのは、『三國志』シリーズの進化について。『信長の野望』シリーズプロデューサーである小笠原賢一氏と、『三國志』シリーズプロデューサーである越後谷和広氏が登壇します。
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ナンバリングを重ねるごとに進化を続けてきた『三國志』シリーズ。
とくに反響が大きかったのが『三國志III』での支配単位への変更、『三國志IX』での全土一枚マップの導入、『三國志14』での武将の個性強化、『三國志VII』での武将プレイの実装など。
なかでも武将プレイは、「君主視点とは異なる歴史体験を可能にし、“思い通りにならない歴史を楽しむ”という新たな面白さを生み出しました」と語る越後谷氏。さらに、武将プレイは韓国での反響が非常に大きく、国によってプレイヤーごとのプレイスタイルに傾向があることを感じたとも語りました。
日本の城と中国の城の違いは目的意識の違い?【シブサワコウトークライブレポート】
続いてのトークテーマは、日本と中国における“城”の違いについて。
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日本の城は、元々は山城のものが多く、町とは切り離されたものでした。これは、城が防衛拠点としての役割が強かったためです。
それがやがて大名支配が進むにつれて動員力も上がり、そのおかげで縄張り(城の設計)もしっかりしたものができるようになったことで、平地に平城を建てても十分な防衛拠点として機能するようになったといいます。
そこから織豊期の天守閣を用いるような城が作られ、城は時代を追うにつれて防御拠点から統治と経済の中心へと役割を変えていきました。
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それに対して、中国の城はそもそも最初から目的が異なり、城壁の内側に都市機能を内包する城郭都市としての役割が主だといいます。これは異民族から民を守るための構造だと考えられており、実際に当時は異民族による民への略奪が横行していたらしいです。
日本における城郭都市といえば平城京や平安京ですが、それも中国の城を参考にしたものであるとのこと。
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そして実際の城の構造については、『覇道』シリーズや『信長の野望 出陣』における城の画像を用いつつ説明されました。各ゲームの特色に合わせて脚色こそしているものの、かなりの密度で実際の城が再現されているようですね。
中国の城については現存資料が少ないため、想像による再構成が必要であるとしつつも、文化的背景を踏まえた表現がゲーム内で工夫されていることも説明されました。
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こぼれ話的に、来年の大河ドラマの主役である豊臣秀吉、豊臣秀長の豊臣兄弟の城の変遷に関する話題も。“天空の城”として知られる竹田城が、大河ドラマでどう描かれるかに関心があると、小笠原氏は語っていました。
無課金、微課金、重課金、廃課金で4アカウントを使い分けるシブサワ氏のゲーム熱がすさまじい!【シブサワコウトークライブレポート】
ヘビーゲーマーとしても知られるシブサワ氏。75歳となった現在でも、毎日ゲームをプレイしていると語っています。自社作品に限らず、他社のヒット作にも積極的に触れ、「自分の感覚を研ぎ澄ますため」に欠かせない行為だと述べるシブサワ氏。
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『信長の野望 覇道』に関しては、無課金、微課金、重課金、廃課金で4アカウントを使い分けて朝から晩までガッツリとプレイしているとのこと。課金の段階によってちゃんと楽しめるかどうか、実際に確かめるためだといいます。
『信長の野望』『三國志』シリーズ以外にアクションゲームの制作にも携わるシブサワ氏。操作のわずかな違いが体感を大きく左右するアクションゲームの操作感の話題にも触れ、1フレーム単位の感覚を重視しているとのことで、今もなお現役でゲームを作り続けるクリエイターとしての姿勢を感じることができました。
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トークライブの最後に、今後の『信長の野望』の展開についても語ります。今までシミュレーションに限らずさまざまなジャンルの歴史ゲームを作ってきた『信長の野望』シリーズ。「今後も歴史の面白さを伝えるためにいろいろなタイプのゲームを作っていくので、ぜひ期待して欲しい」と語ったところで、トークライブは終了となりました。