2024年8月に10周年を迎えたお城擬人化ゲーム『城姫クエスト 極』。各地にあるお城をモチーフにした美少女「城姫」の城主様となって、天下統一を目指すシミュレーションゲームとなっています。
そして、ゲーム内では一定の条件を達成することで城姫を“開城”させることができ、お楽しみ要素の1つとなっています。
今回はそんな城姫たちのちょっとえっちな開城姿を特別にお見せしつつ、その元となったお城がなぜ開城してしまったのかについて、史実を追っていきたいと思います。
そして、ゲーム内では一定の条件を達成することで城姫を“開城”させることができ、お楽しみ要素の1つとなっています。
今回はそんな城姫たちのちょっとえっちな開城姿を特別にお見せしつつ、その元となったお城がなぜ開城してしまったのかについて、史実を追っていきたいと思います。
後ろから攻められて開城【松前城】
城郭・松前城は、江戸時代末期に外国船の出没に備えた海防強化のために築かれたお城。複数の櫓や城門に加え、7基の砲台と25門もの大砲を有していました。
しかし、戊辰戦争では土方歳三率いるわずかな兵によって、たった数時間であっさりと開城してしまいます。海からの防備に主体を置いていたため、背後である搦め手(裏門)の守りは弱く、その弱点を突かれてしまったのです。
そして、そんなお城をモチーフにした城姫・松前城も後ろが弱点! 得意の大砲を手に、正面は櫓の防具で身を守っていますが、背中やお尻といった後ろは防御がガラ空き。後ろから攻められると、涙目になりながら開城してしまうようです。
激しく水攻めされて開城【備中高松城】
城郭・備中高松城は湿地帯に築かれ、沼地が天然の要害として機能し、鉄砲隊や騎馬隊が力攻めで攻め入ることができないお城でした。
しかし、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)による奇策で開城してしまいます。それは水攻め。沼地という本来ならば城攻めを困難にさせる環境を逆手に取った作戦でした。
近くを流れる川から水を流入させることで、備中高松城は湖に浮かぶ孤島と化し、城内も水浸しに。これにより城兵たちは戦意を失い、降伏。備中高松城は開城します。
そして、そんなお城をモチーフにした城姫・備中高松城も水攻めされたのか、開城時には水浸しで肌色が透けているあられもない姿に。白スク水着のような衣装は本人曰く、「水術を防ぎし月白の衣」とのことですが、激しい水攻めには悔しさをにじませながら開城してしまうようです。
家臣によるNTR(乗っ取られ)で開城【稲葉山城(岐阜城)】
城郭・稲葉山城は標高329メートルにもなる険しい岩山の上に位置し、若き織田信長も攻め落とすのに苦労した堅城として知られています。そんな稲葉山城ですが、実は家臣の裏切りによりわずか1日で乗っ取られています。
その家臣の名は、のちに秀吉のもとで働き、天才軍師との呼び声高い竹中半兵衛。当時、斎藤家に仕えていた半兵衛ですが、斎藤家の当主に喝を入れるべく、斎藤家の本拠点である稲葉山城の乗っ取りを画策します。
稲葉山城に人質として差し出されていた弟に病気のふりをさせ、その見舞いとして入城。城内に入ったわずか16人の手勢で襲撃し、城を攻略したとされています。
もしかすると、城姫・稲葉山城の開城姿も何者かにNTR(乗っ取られ? 寝取られ?)、開城してしまったのかもしれない。その恥じらいで顔を歪ませているのかもしれない……そんな妄想がはかどります。
開城しなかったお城もある【上田城】
ここまで開城されてしまったお城とその史実を紹介してきましたが、お城の中には最後まで開城されなかったお城もあります。
城郭・上田城は、わずかな兵数でその何倍にもなる徳川の大軍を一度ならず、二度にも渡り撃退した、まさに難攻不落のお城でした。現在の上田城内にある真田神社は、「落ちなかった」城であることにあやかり、受験生に人気の神社となっています。
一方、そんな難攻不落のお城も、城姫では容赦なく開城させることができてしまいます。現在、300城以上にもなる城姫たちそれぞれの恥ずかしい開城姿――。史実に思いを馳せつつ、ぜひその目で確かめてみてください。