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ファミリーコンピュータの登場とおもちゃ業界の変化。1980年代とはどんな時代だった?【連載コラム:おもちゃとゲームの100年史】

文:電撃オンライン

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連載コラム“おもちゃとゲームの100年史 創業者たちのエウレカと創業の地と時の謎”第20回

第6章 団塊世代の子どもたちとともに 6-1 1980年代とはどんな時代だった?

 時代は、このコラムの第6回で示した、“時代B:団塊の世代の子どもたちとともにあったバブル時代(80年代)”に入る。おおよそで言えば1983年から1995年あたりの物語だ。

 ファミコンとパソコンが、団塊の世代の子どもたちの成長とともに市場を拡大したが、おもちゃ業界は複雑な環境の変化に見舞われる。出版界は第2次雑誌創刊ブームの時代に入り(第1次は50年代後半)、角川書店も1982年の『ザテレビジョン』を皮切りに、毎年のように雑誌を創刊していた。出版界は活気に満ちていた。

 あらかじめ言っておけば、出版業界の活況は10年で終わる。出版業界は、1996年まではその売り上げ規模が上り坂一辺倒だったものが、1997年に初の前年割れとなり、以降、下降の一途をたどることとなった。巨大部数を誇った『少年ジャンプ』さえ、例外ではなかった。

 いまや情報はインターネットから無料で入手する時代。電車のなかでは文庫本を開くより、スマホでSNSをのぞいたり、ゲームを楽しんだりする時代。なにより日本の生産年齢人口がピークアウトする時代の到来だ。その苦悩の時代の分析はもう少し先に譲ることにして、今回はバブルと言われたこの時代の話をしよう。

 ところで、80年代を“バブル”という言葉で括るのは、いささか物足りない。間違いではないが、多様なものが零れ落ちていると感じる。80年代をテーマにしたアンソロジー『1980年代』(斎藤美奈子、成田龍一編著、河出書房新社、2016年)は、次のように80年代を要約している。

 「世の中が浮かれていたバブルの時代。サッチャリズム、レーガノミックスが台頭し、『小さな政府』を標榜する新自由主義経済への道が開かれた時代、コピーライターが時代の寵児としてもてはやされ、広告文化が開花した時代。雑誌文化が興隆を極め、メディアが教えるスポットに若者たちが群がったマニュアル文化の時代。マンガやアニメが『子ども文化』の枠から離脱し、家庭用ゲーム機という新ジャンルが誕生したサブカルチャーの時代。構造主義やポスト構造主義に関心が集まり、ポストモダンやニューアカ(ニューアカデミズム)といった言葉が流布し、現代思想がオシャレに感じられた時代」

 長い引用になったが、これから書くことは、ほぼ上記に要約された状況の中の出来事だった。

6-2 ファミリーコンピュータの登場とおもちゃ業界の変化

 1983年の正月、日本のおもちゃ業界はLSIゲームの過剰在庫で重苦しい空気で幕を開けた。年末年始商戦のLSIゲームの依存度は25%を超えたと言われたから、売れたことは売れたのだが、なにしろ参加者の数が多すぎた。予想以上に『ゲーム&ウオッチ』への集中が高かったのも誤算だったろう。製販三層(製造・卸売・販売)で在庫処理を巡って摩擦が起きた。

 思えばこのときが、おもちゃ業界が“ヒット商品”にこぞって群がり消耗戦を演じた最後の時ではなかったか。

 激しい競争ができたのは、同一領域・同一商品の競争が、2番手、3番手であっても、そこそこ商売ができた時代だったからではなかったか。

 そして、その年の7月15日に任天堂が『ファミリーコンピュータ』を発売し、TVゲーム市場における日本のおもちゃメーカー同士の激しい市場争奪戦は収束した。

 1981年に登場し一時市場をリードしたエポック社の『カセットビジョン』も1982年7月にバンダイが輸入販売したマテルの『インテレビジョン』も、8月に発売されたトミーの『ぴゅう太』も、11月にタカラが発売した『ゲームパソコンM5』も、翌年7月にバンダイから発売されたパソコン『RX-78 GUNDAM』も『光速船』も、すべて任天堂に市場を譲ることになった。

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▲ぴゅう太
 ではここで、日経流通新聞調べによる玩具卸売業の1976年度売り上げランキングを掲載する。同じランキングの1985年度のものと比べてみよう。

【玩具卸売業の1976年度売り上げランキング】

 1位 ポピー……156億円
 2位 トミー……142億円
 3位 ツクダ……129億円
 4位 タカラ……129億円
 5位 浅草玩具……99億円
 6位 バンダイ……93億円
 7位 河田……84億円
 8位 三ツ星商店……73億円
 9位 米澤玩具……66億円
 10位 ブンカ……65億円

【玩具卸売業の1985年度売り上げランキング】

 1位 バンダイ……845億円
 2位 任天堂……772億円
 3位 サンリオ……706億円
 4位 タカラ……515億円
 5位 タイトー……344億円
 6位 ナムコ……316億円
 7位 セガ・エンタープライゼス……309億円
 8位 河田……198億円
 9位 トミー……166億円
 10位 三ツ星商店……160億円
(売り上げ数字はすべて千万単位切り捨て)

 10年の間に売り上げランキングは様変わりしたことがわかる。

 1976年にランキング1位だったポピーは株式上場を目的とした再編でバンダイ本社に取り込まれた。本社もガンプラの大ヒットで絶好調だった。

 タカラは『チョロQ』に続き『トランスフォーマー』が当たり快進撃中。国内に工場を持ちプロダクトアウト志向の強かったトミーは、海外が好調で70年代後半から80年代初めに黄金期を迎えていたが、1984年頃から円高の進行による経営危機に。1986年に社長となった富山幹太郎のもとで、再建の道を模索する。おもちゃ大手3社はそれぞれ転換の時を迎えようとしていた。

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▲トランスフォーマー(コンボイ)
 さて、ランキングの上位に新たに、任天堂、サンリオ、そしてファミコンにソフトを供給しているサードパーティのタイトー、ナムコ、さらに任天堂に対抗してゲーム機を発売して気を吐いたセガ・エンタープライゼスなどが顔を出すようになった。

 ファミコンの登場は、おもちゃの小売りの環境も、劇的に変化させた。

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▲ファミリーコンピュータ
 ぼくが『玩具通信』の記者だった時代、おもちゃ販売の主流は、新宿小田急百貨店、池袋西武百貨店、横浜高島屋、千葉そごう、梅田阪急百貨店をはじめとする各地の百貨店、それから専門チェーンのキデイランド、県庁所在地などの駅近にあった地元の老舗玩具店などだった。

 戦争が終わってから子どもの数がどんどん増えた日本では、いわゆるそのときそのときのヒット商品はもとより、ベビーカー、乗用(三輪車、子ども用自転車、足漕ぎ自動車)、3月・5月の節句もの、夏冬の季節ものなど、百貨店か地元の老舗で買う習わしだった。

 おもちゃ屋さんと本屋さんは、地元の資産家が、駅近などの一等地に店を構えていた。札幌のカネイ小川やトイスター、仙台の白牡丹、上野の山城屋、銀座の金太郎、静岡・森町の一宝堂、大阪・梅田のキデイランド、京都のだるまや、熊本のポレエル……。まだ頑張っている店もあればもうない店もあるが、ぼくにとっては懐かしい。

 おもちゃの小売りの環境が劇的に変化したきっかけは、異業種からの参入だった。これを許した端緒はファミコンの登場だったと『一般社団法人日本玩具協会設立50周年記念誌』(2017年11月)は記している。

 1983年7月にファミリーコンピュータが発売され、『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)、『ドラゴンクエスト』(1986年)などの高額で大量販売が可能な魅力的な商材が次々に投入されたことが、他業界小売りには魅力的に映ったか、バブル景気の恩恵と自動車社会への転換という背景もあって、靴や書店のナショナルチェーンがロードサイドに大型玩具店を展開しだした。

 1985年に始まるBAN BAN、ハローマックといった大型玩具郊外店の攻勢は、最盛期の1996年には900店を数えたという。決定的だったのは、アメリカからトイザらスが上陸(1号店は1991年)したことだった。トイザらスの影響は次章の95年以降のおもちゃ業界の流通の変化のところでまた触れよう。

 この変化にともなって、おもちゃの商習慣も崩れた。

 かつておもちゃは、出版物同様に定価販売が守られていた。出版は、再販売価格維持制度のもとに出版社が定価を指示できる数少ない業界で、近年電子書籍は除外されたものの、紙の世界はまだこの制度下にある。おもちゃは、再販売価格維持制度下でもないのに、慣行によって定価が維持されていた珍しい業界だった。

 50年代後半から70年代に急成長したスーパーマーケットは、おもちゃ業界の慣行に従わず値引き販売したが、これにメーカーが出荷停止で対抗するなど、業界の結束はまだ固かった。製問(東京輸出玩具製問協同組合)の強い統制力と地方の問屋と玩具店の強い絆が、これを守っていた。しかし、ファミコン登場後の外部からの攻勢には抗しきれなかった。80年代後半の他業界からの進出で定価販売の慣行は崩れ、百貨店からおもちゃが消え、地域一番店が消え、業界地図は一挙に変わった。

 少し寄り道して出版業界のことに触れておくと、この時代、出版業界は既存の全国チェーンや多店舗展開する地域一番店の郊外への進出はあっても、他業種、海外からの参入はなかった。

 ファミコンのような市場を急拡大させる商材がなかったからか? 強いて言えば、マンガやライトノベルがこのころの魅力的な商材で、その結果アニメイトやマンガ専門店が急成長した。コンビニでのマンガや雑誌の取り扱いも他業界からの参入と言えなくもない。

 電子書籍とともに海外の電子書籍書店やマンガアプリが市場を席巻するのは2010年代に入ってからだ。むかしは日本の書店数は3万店と言われたが、いまや1万店規模にまで減少している。そんななかでいまもアニメイトは成長を続けている。

 ちなみに出版大手3社(講談社、集英社、小学館)の取引先書店のトップは紀伊国屋書店だが、少なくともぼくの現役時代のKADOKAWAは、アニメイトが取引先第1位だった。

 書店の減少は出版界では出版社、取次の弱体化につながったが、おもちゃ業界では他業界からの参入に合わせた大手3社主導の流通の改革につながった。最近になって、大手メーカーは再びグローバルマーケットに市場を拡大している。

 戦後から現在までの出版業界とおもちゃ業界の決定的な違いを挙げれば、出版業界は一貫して国内市場を対象としているのに対し、おもちゃ業界は輸出主導の業界だったことだ。しかし、ドルショックとプラザ合意後の2度の円高がおもちゃ業界に構造改革を強いた。

 1971年のニクソンショック(金・ドル交換の一時停止を含むドル防衛策)による、1973年の変動相場制への移行を契機に円高が進み、おもちゃの輸出に陰りが見えた。1972年には、香港に輸出第1位の座を譲り渡す。幸い国内市場の成長があったから、バンダイ、タカラ、トミーの大手3社は国内市場の育成にかじを切り、総体としては企業を成長させることに成功した。

 タカラが1984年店頭公開(86年東証2部、91年東証1部)、バンダイが1986年東証2部上場(88年東証1部上場)、トミーは遅れて1997年に店頭公開(99年東証2部、2000年東証1部)をしている。対して出版大手で上場を果たしたのはKADOKAWAのみ。そのために出版界で企業買収、合併などのダイナミックな動きができたのはKADOKAWAのみだった。それに対し、おもちゃ業界では上場と買収・合併が相次いだ。

 先におもちゃ産業に危機が訪れたから再編の波が早く訪れた。おもちゃ業界では最近になってまたグローバルマーケットに市場を拡大し始めたのだ。出版業界の危機は1997年以降、まさに国内産業らしく、人口減による国内市場の縮小に歩調を合わせることになった。2020年代に入ってマンガが好調な大手3社も、IPを軸(マンガからアニメとゲームへ)とした総合エンターテインメント企業への脱皮を目指す動きはあるが、自力でそれを実現するのはかなり難しい。
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