序文【おもちゃとゲームの100年史 創業者たちのエウレカと創業の地と時の謎】
電撃オンラインから、ゲーム業界についてなにか書いてみないか、と言われたとき、ぼくは、おもちゃから始まる業界史を書いてみたいと答えた。
TVゲーム、PCゲーム、スマホゲーム(ここでは総じてデジタルゲームと呼んでしまおう)の類は、囲碁将棋、ボードゲームを含むゲームという大きな括りのなかのひとつに過ぎない。そしてゲームジャンルは、もっと大きなおもちゃという括りの一分野である。この際、日本のデジタルゲーム業界の歴史を語るのに、戦前戦後のおもちゃの歴史から始めてみるのも面白いと思った。
デジタルゲーム市場があまりに巨大にかつグローバルに拡大したのに対し、少子化のなかで苦闘を強いられてきたおもちゃ市場は、別物と思われても無理もない。しかし、そもそもの発生をたどればゲームはおもちゃの1ジャンルだし、おもちゃの歴史はその素材の変遷の歴史で、絶えざる“技術革新”との戦いで貫かれており、デジタル化もその変遷と革新の一環だと捉えられる。
この物語で、100年前に初めてケトバシ(ブリキ板の加工機械)に触れておもちゃ製造の楽しさを知った今のタカラトミーの前身であるトミーの創業者・富山栄市郎のドキドキ感と、1970年代後半にパソコンに出会ってなにか作ってみたいと思ったゲーム業界の創業者たちのワクワク感は、同質だったと言ってみたい。ゲームを含むおもちゃという領域で革新的なテクノロジーに触れて、新しいなにかを生み出せるかもしれないと考えた人たちの“エウレカ(われ発見せり!)”が描ければいい。
さらにこの100年史で心掛けたのは、創業の“地”にこだわって書くこと。事業の継続とか成長という意味では、跡を継ぐ人の“転換=時”にも言及したい。人間は生まれ落ちた時代も場所(国や地域)も選べない、という特性がある。創業者やその後継者が、生まれ落ちたその“時”のその“地”という限界ないしは機会を、どう受け入れ自分の思うように転換してきたかということに、この連載はこだわりたい。“地”としては東京の隅田川の東と西、シリコンバレー、ニュルンベルクなどの土地の秘密にも迫りたい。
ぼくは、おもちゃの業界新聞『週刊 玩具通信』の記者という経験が生きて、1983年という年に仲間とともに『コンプティーク』という雑誌を創刊した。1983年は、あとで書くようにいろいろなものが爆発的に生まれた結節点であり転換点だった。ファミリーコンピュータ―(ファミコン)が生まれたのもディズニーランドが開業したのもこの年だ。
TVゲーム、PCゲーム、スマホゲーム(ここでは総じてデジタルゲームと呼んでしまおう)の類は、囲碁将棋、ボードゲームを含むゲームという大きな括りのなかのひとつに過ぎない。そしてゲームジャンルは、もっと大きなおもちゃという括りの一分野である。この際、日本のデジタルゲーム業界の歴史を語るのに、戦前戦後のおもちゃの歴史から始めてみるのも面白いと思った。
デジタルゲーム市場があまりに巨大にかつグローバルに拡大したのに対し、少子化のなかで苦闘を強いられてきたおもちゃ市場は、別物と思われても無理もない。しかし、そもそもの発生をたどればゲームはおもちゃの1ジャンルだし、おもちゃの歴史はその素材の変遷の歴史で、絶えざる“技術革新”との戦いで貫かれており、デジタル化もその変遷と革新の一環だと捉えられる。
この物語で、100年前に初めてケトバシ(ブリキ板の加工機械)に触れておもちゃ製造の楽しさを知った今のタカラトミーの前身であるトミーの創業者・富山栄市郎のドキドキ感と、1970年代後半にパソコンに出会ってなにか作ってみたいと思ったゲーム業界の創業者たちのワクワク感は、同質だったと言ってみたい。ゲームを含むおもちゃという領域で革新的なテクノロジーに触れて、新しいなにかを生み出せるかもしれないと考えた人たちの“エウレカ(われ発見せり!)”が描ければいい。
さらにこの100年史で心掛けたのは、創業の“地”にこだわって書くこと。事業の継続とか成長という意味では、跡を継ぐ人の“転換=時”にも言及したい。人間は生まれ落ちた時代も場所(国や地域)も選べない、という特性がある。創業者やその後継者が、生まれ落ちたその“時”のその“地”という限界ないしは機会を、どう受け入れ自分の思うように転換してきたかということに、この連載はこだわりたい。“地”としては東京の隅田川の東と西、シリコンバレー、ニュルンベルクなどの土地の秘密にも迫りたい。
ぼくは、おもちゃの業界新聞『週刊 玩具通信』の記者という経験が生きて、1983年という年に仲間とともに『コンプティーク』という雑誌を創刊した。1983年は、あとで書くようにいろいろなものが爆発的に生まれた結節点であり転換点だった。ファミリーコンピュータ―(ファミコン)が生まれたのもディズニーランドが開業したのもこの年だ。
団塊の世代の子どもたちが大きな塊となって新しい消費の時代を切り開いたときで、そういう時代にゲーム雑誌の仕事に巡り合えたぼくはラッキーだったといまでも思っている。おもちゃとゲームの歴史のなかには、いくつもの転換点となる場所や時代があるはずだ。それを探すのが、この連載の次の目的だ。
さらに言えば、デジタルゲームは、隣接する業界であるマンガやライトノベルといった出版、それからアニメなどのメディアとミックス(コンバージョン)されることが多い。デジタルゲームをそういうカルチャーのつながりのなかで捉えるのは、遅れてやって来た中国が、一括りに“ACG”(アニメ・コミック・ゲーム)として、このジャンルの産業振興に注力し成功していることも関連している。日本のように戦後、時間をかけて業界が熟成させてきたものを、模倣する側のほうがその本質をよく見抜いているということがある。
つまり、むかしからぼくたちがメディアミックスと呼んで育ててきたものが、もっとダイナミックにもっとグローバルに展開できる可能性があることに、中国の新興勢力は気づいたのだ。当然日本は先行する立場で、まだ優位に立てると思う。そもそもメディアミックスは、日本のおもちゃ業界と出版業界と映像業界の協業の産物なのだ。そういう過去にも触れたい。
時代の変化が新しいテクノロジーや新しい文化を呼び、それを取り込んだものが起業のチャンスをつかむ。やがてまた時代は変化する。新たな変化についていけなくなれば滅びる。どうするか。ひとつめは、次々に富を再生産する装置を内部に持つこと。ふたつめは、新しい変化は概して外からやってくるから、外部を内部に取り込んで、新しい変化に対応すること。そういうことが、おもちゃとゲームの歴史のなかで起きているに違いない。いささか大風呂敷を広げてしまったが、ぼくは研究者ではないしすでに業界人でもないから、ぼく自身の個人史を交えながら、やや直感的、我田引水的に話を進めたい。
大学を卒業して、東京は蔵前にある小さなおもちゃの業界新聞社に就職し、記者をやりながら、軽自動車で新聞を配っていた日々から話を始めよう。
さらに言えば、デジタルゲームは、隣接する業界であるマンガやライトノベルといった出版、それからアニメなどのメディアとミックス(コンバージョン)されることが多い。デジタルゲームをそういうカルチャーのつながりのなかで捉えるのは、遅れてやって来た中国が、一括りに“ACG”(アニメ・コミック・ゲーム)として、このジャンルの産業振興に注力し成功していることも関連している。日本のように戦後、時間をかけて業界が熟成させてきたものを、模倣する側のほうがその本質をよく見抜いているということがある。
つまり、むかしからぼくたちがメディアミックスと呼んで育ててきたものが、もっとダイナミックにもっとグローバルに展開できる可能性があることに、中国の新興勢力は気づいたのだ。当然日本は先行する立場で、まだ優位に立てると思う。そもそもメディアミックスは、日本のおもちゃ業界と出版業界と映像業界の協業の産物なのだ。そういう過去にも触れたい。
時代の変化が新しいテクノロジーや新しい文化を呼び、それを取り込んだものが起業のチャンスをつかむ。やがてまた時代は変化する。新たな変化についていけなくなれば滅びる。どうするか。ひとつめは、次々に富を再生産する装置を内部に持つこと。ふたつめは、新しい変化は概して外からやってくるから、外部を内部に取り込んで、新しい変化に対応すること。そういうことが、おもちゃとゲームの歴史のなかで起きているに違いない。いささか大風呂敷を広げてしまったが、ぼくは研究者ではないしすでに業界人でもないから、ぼく自身の個人史を交えながら、やや直感的、我田引水的に話を進めたい。
大学を卒業して、東京は蔵前にある小さなおもちゃの業界新聞社に就職し、記者をやりながら、軽自動車で新聞を配っていた日々から話を始めよう。