昨年12月に逝去された日本ファルコム会長の加藤正幸氏。3月14日には業界でかかわりがあった人々や、多くのファンが氏を偲ぶ場として“お別れの会”が執り行われました。
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本記事では式典内での、ゲームデザイナーであるヘンク・ブラウアー・ロジャース氏による加藤氏へ向けた弔辞を掲載します。
自分の作ったゲームを愛し、プレイしてくれる人たちも愛していた加藤会長
加藤正幸さんは、素晴らしい方でした。彼の日本のコンピューターゲーム業界への貢献を称えましょう。
私は、1983年の日本でコンピューターゲームに携わるキャリアをスタートしました。
当時の私は、日本語の読み書きができませんでした。今でも、娘に「小学1年生になったら?」と言われることがあります。カタカナとひらがなを読むのが、やっとです。私は見知らぬ土地の異邦人でした。今でもそうだと思います。
人生で一番難しかったことは、初めてコンピューターゲームを作ったことです。自分で作ったゲーム『ザ・ブラックオニキス』は、私の子供のようなものです。私は、自分のゲームをプレイしてくれる人たちが大好きです。
加藤さんは、素晴らしいゲームを作ることに専念していました。私は、彼がどれだけ懸命に働いていたかを知っていますし、自分のゲームを愛していたことも知っています。
彼にとっても、自分で作ったゲームは子供のようなものでした。彼は、自分のゲームをプレイしてくれる人たちを愛していました。
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当時は、とてもエキサイティングな時期でした。ソフトのレンタルの問題が生まれ、これは日本のすべてのコンピューターゲーム会社にとって大きな問題でした。
そこで、“STAC”という組織を設立しました。私が加藤さんに初めて会ったのは、その“STAC”の会議だったと思います。会議では、ゲームビジネスで抱えている問題について議論していました。
加藤さんは、メンバーの中でも年上で思慮深く、大人でした。若く衝動的だった私たちにとって、加藤さんは常に代弁者であり、助言者でした。
We all miss you, Masayuki Kato.
加藤さんがいなくなるのは、寂しいです。
「加藤正幸 お別れの会」
— 日本ファルコム (@nihonfalcom) March 14, 2025
ご来臨くださいました皆さまに感謝申し上げます。
これからもファルコムをどうぞよろしくお願いいたします。https://t.co/uJnrsaSKVE pic.twitter.com/vcNZxHOOn7