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『ガンダム ジークアクス』12話(最終話)感想&考察:ジークアクスに隠されていたとんでもない秘密に仰天。最後までお祭りのような時間を体験させてくれた感謝を伝えたい(ネタバレあり)

文:米澤崇史

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 放送中のTVアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ガンダム ジークアクス)』第12話“だから僕は…”の感想記事をお届けします。

[IMAGE]【注意】キービジュアルより先のテキストでは、『ガンダム ジークアクス』12話の物語に関する記述が多々あります。そのため本編をご覧になってから読むことをオススメします。
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 毎週お祭り騒ぎとなった『ガンダム ジークアクス』もついに最終話。

 最終話も、いろいろとんでもない数のネタの嵐で、最後までお祭りを楽しませていただきました。

 11話のラストでは、我々のよく知るあのRX-78-2ガンダムが登場して、いろんな意味で『ガンダム』ファンが騒然となっていました。

 気になるのはそのパイロットだったんですが、アムロではなくシュウジでしたね。

 ここで最後の敵がアムロだったらさすがに収集がつかなくなっていた気がしたので、個人的には安心しました(やっぱり思い入れもあるので、アムロが倒されたりする展開は見たくなかったですし)。


 ただ、その一方でシュウジの目的がララァを殺すことだったのは予想外でした。

 ララァを殺す=ララァを次のループの世界に向かわせるということでもあり、結局同じことの繰り返しでララァを救えないと思うのですが、シュウジ的にはシャアがララァを否定した『ジークアクス』という世界を壊して、その事実をなかったことにするのが重要だったのかなと。

 シャアがララァを拒否して傷つけた世界そのものをシュウジは許容できなかったんじゃないかと思います。

 一方、マチュはララァを殺そうとするシュウジと戦う決意を固めました。

 このあたりの構図はおもしろくて、マチュがララァを守るのは“シュウジが好きな人だから”というのも理由の一つだと思うんですけど、シュウジはララァがシャアと幸せな結末を迎える世界に辿り着くのを助ける手助けをしていて、二人とも報われない想いのために頑張っているという共通点があるんですよね。

 そう考えると、マチュがシュウジに惹かれたのは、キラキラという新しい世界を見せてくれただけではなく、本質が似たもの同士なのをどこか感じ取っていたから……とも考えられるかもしれません。

 そして今回、なんといっても「やってくれたな!」となったのが、シャロンの薔薇として眠るララァのいた世界の描写。

 向こう側の世界が描かれただけでも十分に驚きだったんですが、まさかオリジナル版のキャスト陣を連れてくるとは……。

 『ジークアクス』での新祐樹さんもかなりハマっていてしっくりはきているんですが、やっぱり池田秀一さんの声でシャアのセリフが聞こえてきた瞬間、テンションが爆上がりしました。

 前回の“BEYOND THE TIME”はかなり不意打ち気味なところがあったんですが、今回流れた“ビギニング”は事前に流れるのを期待していた楽曲だったので(“めぐりあい”とどっちかは来るだろうなと)、「来るか……!?来るか……!?来たー!」と、イントロが流れた瞬間に盛り上がっていました。


 その上で、眠っているララァが元にいた世界が、正史とはよく似ているもののまた違う世界だということが改めて示されました。

 正史では、シャアのゲルググをエルメスがかばってララァが死亡するので、ララァだけが生き残る展開にはなっていません(シャアが死んだ時のララァの表情がとんでもないことになっていたのはビビリました)。

 また、ララァが見てきた可能性の世界として、本来シャアが乗っていない機体がシャア専用カラーになっているカットがチラッと映ったりもしましたが、そのシーンのネタの詰め込みっぷりがすごかった。

 グフ、ビグロ、ビグ・ザムなどの『機動戦士ガンダム』の機体だけではなく、ガルバルディαやヅダ、山下いくとさんデザインのサザビーと、いろんな出展のモビルスーツを引っ張っていて、このシーンでいろいろツッコみたくなった『ガンダム』ファンは多いかと思います。

 とくにヅダは、ただでさえ高すぎる機動力に機体の耐久性が追いついていないという機体なので、シャア専用にカスタマイズしたら偉いことになりそう。速度の上げすぎで機体が自壊したのがその世界でのシャアの死因になっている可能性も少しありそうです。

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 キシリアは、まるで死の運命に導かれるかのように戦場に割って入り、正史と同様にシャアのバズーカによって討たれてしまいました。

 正史ではキシリア自身ではなくガルマへの手向けとして言葉を送っていたのに対して、『ジークアクス』ではキシリア自身に向けての言葉になっていたので、シャアの中での好感度は正史よりは高かったと思われ、そういう意味では少し救いはあったと言えるのかも。

 幼い頃のシャアとセイラを見て、キシリアが母になりたいと感じていたのは新しい解釈で、キシリアがニャアンに対して優しかったのは、深層意識にあった母になりたい願望が影響していたのかもしれないとも思いました。

 そして驚いたのが、シャリア・ブルがシャアと敵対したこと。

 自分含め、多くの視聴者がシャアとシャリアは目的を同じにする同志だという前提で『ジークアクス』の物語を見ていたと思うので、これを知った上で1話から見返すと、シャリアへの印象がガラッと変わりそうだなと。

 シャリアがギレンとキシリアを同時に排除しようとしていた時、指導者を失ってジオンが大混乱に陥りそうな収集をどうつけるつもりだったのか謎だったのですが、一年戦争後にセイラとの繋がりができていたと考えると、いろんなものが腑に落ちます。

 セイラとシャリアが知り合いだったなら、シャリアはシャアが爆弾を解除して、ソロモンを落とそうとしていたことを知っていてもおかしくなく、ニュータイプとしての直感以外でも、“自身の目的のためならどんな犠牲も払える男”というシャアの危険性を感じるのに十分な情報を得られそうなんですよね。

 そうなれば、シャアと袂を分かつ選択をしたのも納得で、シャリアが赤いガンダムを探していたのも、どこかで生きて暗躍しているであろうシャアを止めるためだったのかもしれません。

 二人の戦闘シーンも凄まじく、あれだけ強かったシャリアとキケロガをあっさりと撃墜するあたり、やはりシャアの強さは別格なんだなと。その後、実質ラストシューティングの構図が再現されていたのには笑いました。


 ようやくマチュとニャアンの和解も果たされ、二人でのマブが実現したのは感慨深かった……のですが、それだけにその後ニャアンが結構あっさりやられてしまったのはちょっと残念。

 マチュがやられそうになったところにニャアンがビットを送ってフォローしていたり、組んで戦うのは初めてとは思えないくらい連携が取れている描写があったりもするだけに、もうちょっと二人の共闘を見たかったのは正直なところでしょうか。せめてあと1話くらい残っていれば…!

 そして何より驚いたのが、ここにきてジークアクスに搭載されていたことが判明した“エンディミオンユニット”と呼ばれる装置と、アムロ・レイと思わしき存在の意思がその中に入っていたこと。

 オメガサイコミュについて、“向こう側からきたオーパーツを使用した”という発言がさらっとシャリアから飛び出したりもしていて、おそらくはそれがエンディミオンユニットなのでしょう。

 しかもエンディミオンユニットは、“またガンダムがララァを殺す光景を見たくない”と言っているので、シャロンの薔薇のララァとはまた別の世界から来ているんですよね。

 『逆襲のシャア』のアクシズ・ショック後、サイコフレームが『ジークアクス』世界に転移してきて、それがオメガサイコミュとして使われたんじゃないか……とか思わず妄想しそうになったりもしますが、このあたりは完全に視聴者の想像に委ねている要素なのかなと思います。

 個人的には、『ジークアクス』の世界と正史は繋がらないと思っているので、ララァを殺してしまったどこかの世界のアムロが、そのショックでララァと同じくゼクノヴァを起こしていた……というあたりが一番しっくり来るかなと。ララァに起こせたなら、アムロが同じことを起こせてもまったく不思議じゃないと思うんですよね。

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 シュウジに関しては、本当によく分からないまま最終話まで来てしまってたので、内心本当にまとまるのか不安だったんですが、「そういうことだったのか」と納得できるところには着地させてくれたと感じました(結局出生などの正体は分からず仕舞いでしたが)。

 ララァが好きだという気持ちをマチュが自覚させた後に、シュウジがマチュのことを好きだといったのはいろんな解釈ができそうですが、マチュがキラキラでシュウジに惹かれたのと同じように、新しい世界を見せてくれたマチュにシュウジも惹かれた……ということなのかなと思いました。

 「この世界は、君と僕が出会うために作られたのかもしれない」なんてセリフまで言ってたくらいですからね。3人で一緒にいた時も、ララァへの想いと平行して、シュウジが自覚していないところで、マチュに惹かれ始めてもいたのかなと。

 あとは、その流れで主題歌“Plazma”が流れたタイミングが非常に良かったです。

 “Plazma”って最初の歌詞がマチュとニャアンが出会う改札に関するフレーズから始まるので、マチュとニャアンの曲なのかなと長らく思っていたのですが、改めて歌詞を見ると、どこか遠くにいってしまった大切な人に向けたものになっていて、最終回後のマチュからシュウジへの曲だったのかなと印象が変わりました。


 一方、エンディングの映像では、マチュとニャアンだけではなく、ハロとコンチもいるのに、なぜかシュウジだけがいなかったのは、最終回後の光景だったからと考えるとめちゃくちゃ納得がいきましたね。

 3人で来ることは叶わなかったものの、マチュとニャアンが仲直りして一緒に海に来れたことを、シュウジもどこかの世界で喜んでいるんじゃないかと思います。


 1クールということもあって、とにかく毎回のスピード感が凄まじく、最後急にニュータイプに覚醒していたコモリとか、やたら事情に精通していたハロとか、あれはどういうことだったのか自分の中で分かっていないものも残ってはいるのですが、とにかくこの1クールの間楽しませてもらったのは間違いなく、いろんな意味で思い出に残る作品になりました。

 ここまで、リアルタイムでの視聴が楽しかった『ガンダム』はなかなかなかったかなと。

 宇宙世紀シリーズは世界観が地続きで、『機動戦士ガンダム』も46年前の作品ということもあって、新規のファンにオススメするにはどうしてもハードルが高かった状況。それを『ジークアクス』が打破してくれたのは間違いなく、『ガンダム』シリーズの1ファンとして非常に感謝したい思いが強いです。

 『ジークアクス』をきっかけに宇宙世紀を知った方が、これからどんどん『ガンダム』沼に浸かっていってくれれば嬉しいなと思います。


米澤崇史:ロボットアニメとRPG、ギャルゲーを愛するゲームライター。幼少期の勇者シリーズとSDガンダムとの出会いをきっかけに、ロボットアニメにのめり込む。今もっとも欲しいものは、プラモデルとフィギュアを飾るための専用のスペース。


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