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【北の関ケ原】東北最大の慶長出羽合戦に伊達政宗や直江兼続、最上義光らはどう挑んだのか?【奥羽関ヶ原 政宗の謀、兼続の知、義光の勇】

文:電撃オンライン

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 小説『奥羽関ヶ原 政宗の謀、兼続の知、義光の勇』が、8月6日に発売されました。

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※この記事には『奥羽関ヶ原 政宗の謀、兼続の知、義光の勇』のネタバレが含まれています。

『奥羽関ヶ原 政宗の謀、兼続の知、義光の勇』の内容は?(商品紹介ページより)


 東北戦国史、最大の一戦! 興亡の行方は?

 東軍に味方するか、西軍に呼応するか。徳川家康と石田三成とが、もはや一触即発を避けられなくなっていた慶長五年の夏。

 すべての武将が、「我が家の浮沈、この一戦にあり!」と、政の動静に全身全霊を傾けていた。

 日の本全土が不穏な空気に包まれる中、上洛の命を拒み続けた上杉景勝を豊臣家への謀反と断じた家康は、ついに会津征伐に踏み切る。

 権変に長ける陸奥国伊達家当主の政宗は、家康に命運を預け、上杉領国北東の信夫口に向けて出立。

 さらに、出羽国最上家当主の義光は、愛娘の駒姫を豊臣秀吉に殺された恨みもあって家康に与し、北西の米沢口へ。

 一方、三成に加勢する上杉家重臣の直江兼続は、家康の非望を大義の鉄槌で打ち砕かんと進発する。

 天下分け目の関ケ原の戦いとほぼ同時に勃発、御家の存亡を懸けた「北の関ケ原」と呼ばれる東北最大の合戦「慶長出羽合戦(長谷堂合戦)」に、三人の武将はどう旗を振ったのか?

 奥羽の争乱(長谷堂城・白石城・梁川城・福島城攻め)を活写した傑作歴史長編!

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