2月26日に発売される元KADOKAWA社長・佐藤辰男氏の著作『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』。1970~80年代の日本の出版業界で活躍し、とくに玩具やゲーム、キャラクターコンテンツに多く関わった経験をもとに、当時の出版界の活況と現在に至るまでの変遷を綴った1冊です。
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そんな本作の発売を記念して、『宝島30』2代目編集長にして『言ってはいけない残酷すぎる真実』で新書大賞を受賞するなど現在は作家として活躍する橘玲氏と、著者である佐藤辰男氏の対談をお届けします。
じつは同じ早稲田大学出身で同じサークルに所属していたという佐藤氏と橘氏。『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』では、橘氏に推薦文を執筆いただいたりもしています。そんなお2人に、本書をきっかけにいろいろな思い出を振り返っていただきました。
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『エンタメ(IP)100年史』を読んで思い起こした“あの頃”の東京の風景
――2月26日発売の佐藤さんの著作『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』を読まれて、橘さんがとくに印象に残った部分を教えていただけますか?
橘
一番興味深かったのは、出版業界のお話ですね。今後どうなっていくのかも伺いたいのですが、それは後ほどとして……。まず、この本の出だしが同じ時代を生きてきた人間として、すごくいいなと思いました。ちょうど私が大学に入った頃の、懐かしい東京の風景が描かれています。浅草はあまり詳しくないのですが、職人の町だったんだな、ということを知ることができました。
佐藤
そう。隅田川の向こうが職人の街でこちら側が華やいだ問屋街でした。もう40年も50年も前の話。
橘
ええ、私が大学に入ったのは1978年なのでそのくらいですね。実は、佐藤さんとは大学(早稲田大学第一文学部)もサークルもいっしょなんです。
――では、直接の先輩後輩という間柄なんですね。
――では、直接の先輩後輩という間柄なんですね。
橘
すれ違いですけど。でもサークルには佐藤さんを知っている人が残ってたので、先輩からお名前は聞いていました。それがこうして対談していると思うと……ちょっと不思議な縁を感じますね。
――差し支えなければ、どのようなサークルだったのか聞いてもいいでしょうか?
――差し支えなければ、どのようなサークルだったのか聞いてもいいでしょうか?
佐藤
ロシア語研究会です。ロシア語の勉強とあと社会科学系の本の勉強会したり。当時は政治の季節でした。先輩には活動家もいました。そういう時代だった。早稲田だけじゃなくどの大学もね。
橘
私が入学した頃は学生運動はもう活気を失っていて、マルクスからフランスのポストモダン思想(※)へと変化していくちょうど境目ぐらいでした。
佐藤
僕は1年留年して76年に卒業したんだけど、卒業するにあたっていきなり現実に直面させられたんだよ。「就職しなきゃ」って。周囲の学生はとっくに就職なんて決まっていたのに、僕は卒業間際の1月、2月までずっと決まらなくて……。
――そのころから、いわゆる就活戦争のような青田買いはあったのですか?
――そのころから、いわゆる就活戦争のような青田買いはあったのですか?
佐藤
いやいや、青田買いなんてないですよ。当時の就職活動は大学4年の秋からだったし、僕らのときはオイルショックの後で就職難でしたからね。求人がなくて、それこそ出版社なんかは狭き門でした。。
橘
私の時は卒業の前年にソ連がアフガニスタンに侵攻して、商社はソ連との貿易ができなくなるからとロシア語のできる人間を採用しなくなりました。大学の就職説明会で露文だと言ったら、「お父さんに相談しなさい」って言われたことをいまでも覚えています。
佐藤
そういう時代でしたよね。それで橘さんは……かなりブラックなところに就職してしまったと聞いています。
橘
そうですね。間違いなく出版業界の最底辺でした。
佐藤
橘さんと比べてしまうと、僕は全然マシだったように思います。書籍でも触れていますが、僕が働いていた『週刊玩具通信』(※日本トイズサービスが発行していた玩具業界の新聞)はなんか別にやりたいことがある人の吹き溜まりのような会社でした。給料は安かったけれど、焦りとか不安とかあまりなかったです。
橘
ええ。私も絶望感はありませんでした。
佐藤
そうなんです。「なんとかなるだろう」みたいな楽観的な雰囲気がありました。いまの時代にはないけれど、当時は「まだ先があるだろう」という空気が世間の中にはあって、決して絶望的ではなかったんですよね。
橘
私が最初に勤めたのは新橋の雑居ビルにある小さな出版社ですが、編集部員は全員早稲田出身で大学院出もいました。早稲田のドロップアウト組の、それこそ吹き溜まりのようなところだったので、自分だけが落ちぶれたという感じはありませんでした。
佐藤
僕のところにも、早稲田出身で詩を書いている人とか、脚本家志望の演劇青年とかがいました。みんな仲が良くて、いっしょに芝居やラグビーを見に行くこともありましたし、吹き溜まりながらも楽しんでいました。
橘
先ほど佐藤さんは「周囲の学生はとっくに就職なんて決まっていた」とおっしゃっていましたが、当時の就職状況を考えると、私たちのような“落ちこぼれ組”も結構いたように思います。
佐藤
落ちこぼれでもなんとかなりそうな空気感かな。時代とともにチャンスが巡ってきそうな匂いがありました。ぼくの場合ファミコンが出てその周辺でビジネスできそうな。自分は大したことなくてもいっしょに豊かになっていけそうな匂いが。
橘
確かにそうかもしれませんね。私もその会社を2年で辞めて、友だちと編プロを作って……当時の出版業界は勢いがありましたよね。
佐藤
ええ、そうでしたね。
現在とはスピード感が違いすぎる。70年代の出版業界
――橘さんが当時の出版業界は勢いがあったとおっしゃっていましたが、それを実感したエピソードはありますか?
橘
とにかく、いまとはスピード感がいました。編プロを立ち上げた後、あちこちの出版社に営業の案内を送ったのですが、車雑誌やサーフィン雑誌を出している出版社の役員から電話がかかってきて、「君たち近所だね。うちも新しい雑誌やりたいから何か企画書を持ってきてよ」と軽い感じで言われました。
でも企画書がなくて、仕方がないので『ギャルズライフ』というティーンの女の子を対象にした人気雑誌向けに準備していた特集の企画書があったので、それを持っていきました。そしたら数日後に、「役員会で決まったから、3カ月で創刊して」と電話で言われました(笑)。
――確かに今だと考えられないようなスピード感ですね。
でも企画書がなくて、仕方がないので『ギャルズライフ』というティーンの女の子を対象にした人気雑誌向けに準備していた特集の企画書があったので、それを持っていきました。そしたら数日後に、「役員会で決まったから、3カ月で創刊して」と電話で言われました(笑)。
――確かに今だと考えられないようなスピード感ですね。
佐藤
橘さんのエピソードは決して珍しい話ではありません。本にも書きましたが、週刊誌なのに『ザテレビジョン』なんかほとんど準備期間なしで創刊しちゃいました。
橘
佐藤さんたちの編プロも同じような状況だったみたいですね(笑)。そういえば、佐藤さんとは当時ニアミスしてるんです。佐藤さんたちが雑誌を創刊するとき、サークルの先輩から「いっしょにやらない?」と電話をもらったんです。
佐藤
ありましたね! 当時はなにせ人が足りなかったんですよ。書籍出版社だったこともあるけれど、雑誌を創刊するたびに人集めでしたから、経験者優遇の中途採用ばかりでした。新卒採用は極端に少なかったと思います。
橘
どこもそうでしたが、「経験者なら誰でもいい!」という雰囲気でしたよね。
――ニアミス、とおっしゃいましたが、なぜ佐藤さんのところにはいかなかったのでしょう?
――ニアミス、とおっしゃいましたが、なぜ佐藤さんのところにはいかなかったのでしょう?
橘
実はそのちょと前に、飲み会で知り合った『別冊宝島』の編集者から誘われて、仕事をすることが決まったばかりだったんです。順番が逆だったら、佐藤さんの部下になっていたかもしれません(笑)。
佐藤
これもあるあるエピソードですね(笑)。95年頃までどんどん雑誌が増える時代でしたから、あの時代に出版業界で働くことができたのは幸運だったと思います。
橘
特に80年代は、TVだけではなく雑誌が文化を動かしていた感覚がありました。いまでは考えられないですけど。
佐藤
80年代は年に200誌くらいの雑誌が創刊していましたけど、それがいまだと年に1誌かゼロですもんね。
ファミコンの登場が、いかに衝撃的だったのか
――少しお話を変えまして、玩具やゲーム関連で橘さんが気になったエピソードはありましたか?
橘
佐藤さんが視察団を組んで、アメリカのイベントを取材した頃の熱気も印象に残っています。
佐藤
ファミコンが生まれる前後の1981年から83年あたりのお話ですね。あのころは、いまで言う東京ゲームショウのようにゲームに特化したものではなく、CES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)という家電の見本市のようなイベントの中で、ひとつのコーナーとしてゲームが扱われている感じでした。
そんな中で僕は編集長に命じられてツアーを組んで情報を仕入れていたわけです。ツアーに参加したのは、僕の他にはいくつかの玩具メーカーで開発担当をされていた方々です。当時テレビゲームもパソコンもRPGやボードゲームもアメリカが最先端で、米国現地の最新情報が貴重でした。
そんな中で僕は編集長に命じられてツアーを組んで情報を仕入れていたわけです。ツアーに参加したのは、僕の他にはいくつかの玩具メーカーで開発担当をされていた方々です。当時テレビゲームもパソコンもRPGやボードゲームもアメリカが最先端で、米国現地の最新情報が貴重でした。
橘
当時のTVゲーム業界は、どうだったんでしょうか?
佐藤
ファミコンが出たのが1983年のことですが、ファミコン前夜――LSIゲームの時代には多数の会社が参入して、そのほとんどは失敗していきました。まだゲームは“玩具の1ジャンル”にしかすぎない状態で、当時の玩具業界はその年ごとにヒット商品に群がって消耗戦を繰り広げていた時代でしたが、LSIゲームはその最後の商品だったように思います。少なくともTVゲームという分野においては、ファミコンがその構図を変えてしまったんです。
橘
やはりファミコンはすごかったんですね。
佐藤
ファミコンが出たときは、それは衝撃的でした。「こればいままでの玩具とはまったく違うものになる」という予感めいたものは、僕だけではなく多かれ少なかれ業界の人間の中にはあったんじゃないかと思います。
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メディアミックスの今昔と、ライトノベルの誕生について
――いまではもう耳に馴染んだ言葉でもある“メディアミックス”という言葉は、日本のコンテンツ業界においては大きな要素のひとつでもあります。こちらについての印象などをお話しいただけますか?
佐藤
ぼくの本では、ビジネスとしてのキャラクターマーチャンダイジングの始まりはバンダイ(ポピー)の『仮面ライダー』、文庫と映画の相乗効果を狙った角川映画の『犬神家の一族』を紹介しています。1970年代の出来事です。
――いまだとライトノベルを原作としたコミカライズやアニメ化といった形でひんぱんにメディアミックスが行われていますが、ライトノベルが出てきた当たりのお話をお聞かせいただけますか?
――いまだとライトノベルを原作としたコミカライズやアニメ化といった形でひんぱんにメディアミックスが行われていますが、ライトノベルが出てきた当たりのお話をお聞かせいただけますか?
佐藤
70年代までは朝日ソノラマなどのヤングアダルト系の文庫やカッパノベルスの伝奇ロマン系が下敷きとしてありました。80年代になって角川書店の『コンプティーク』『ニュータイプ』といったゲーム雑誌、アニメ雑誌から次々に作品が生まれ、そうした作品の入れ物として『スニーカー文庫』(1989年)が創刊され、それがライトノベルの始まりとなりました。『ロードス島戦記』などが代表例ですね。
橘
そういう流れで生まれていったんですね。雑誌やゲームも同じでしょうが、当時は「ここに金脈があるのでは?」と誰かが気づいたら、そこに一斉に殺到することで世の中が動き、大きなビジネスになった時代だったように思います。
佐藤
まさにそこが「エウレカ」ですよね。僕が書籍を通じて書きたかったことでもあります。
SNSによって変わっていったコンテンツの評価軸と広告宣伝の在り方
橘
時代について言うと、2000年代になってSNSが登場し、影響力を持つようになったことで、コンテンツの評価軸などが大きく変わったと思います。この辺りについてはどう見ておられますか?
佐藤
いいか悪いか別としてやっぱりSNSの評価をうまく取り込むことはいまのコンテンツが売れるためには必須の要素だと思います。ゲーム会社もそうですが、いろいろなものの広告宣伝は、メディア展開だけではなく、SNSでの評判をどう取り込むかにシフトしています。正直なことを言うと、メディア業界にいる身としてはちょっと切なくもありますね。
橘
書籍などもそうですよね。かつては新聞広告や書評が大きな効果を発揮しましたが、いまだとその影響がかなり小さくなっています。しっかりと読みこんだうえでの書評より、SNSのインフルエンサーのキャッチ―なひと言や、要約動画がヒットにつながったりする……。難しいですね。
佐藤
それでもKADOKAWAはまだうまく適応できているほうなんだと思います。と言うと、これを読んでいる読者の方は「これで!?」とギャップを抱くかもしれませんが、脱落していってしまった出版社や企業はたくさんあるんですよ。
橘
そうですね。佐藤さんの書籍にもIP(Intellectual Property/知的財産)の文字がありますけれど、やはり独自のIPがないところは厳しいですよね。出版社で言うと、例えば集英社はライセンスビジネスで大成功しているし、講談社は最近、ハリウッドで映像を制作する“Kodansha Studios”を新設しました。これもIP強化の流れなのでしょう。
佐藤
いまはIPを持っていない企業も、自分たちでIPを作る方向になっていくんでしょうね。例えば出版社であれば、そうしていかないと文芸・書籍といった伝統的な出版を守れなくなってしまうってことなのかもしれません。そう思うことが最近よくあります。
――IPの話になりましたので「臆病者のための株入門」の著者でもある橘さんにお聞きしたいのですが、最近の経済ニュースではエンタメ・IPセグメントのような言われ方をして、ゲーム、アニメ(映画映像)、マンガなどの関連株がもてはやされています。電撃オンラインのユーザーはゲームの好きな人が多いので、そういう人にエンタメ株とどう向き合ったらいいか、なにかアドバイスありますか?
――IPの話になりましたので「臆病者のための株入門」の著者でもある橘さんにお聞きしたいのですが、最近の経済ニュースではエンタメ・IPセグメントのような言われ方をして、ゲーム、アニメ(映画映像)、マンガなどの関連株がもてはやされています。電撃オンラインのユーザーはゲームの好きな人が多いので、そういう人にエンタメ株とどう向き合ったらいいか、なにかアドバイスありますか?
橘
個別株投資はうまくいくと大きな達成感が得られますが、リスクも大きく損をすることもあるので、銘柄分析のような面倒なことはせず、失敗してもいい範囲で、自分の好きなコンテンツを出している会社の株を買ったらいいんじゃないでしょうか。
私からも、もうひとつ佐藤さんにお聞きしたいです。現在はAIがさまざまな分野に活用されて言っていますが、その影響はどうでしょう?
私からも、もうひとつ佐藤さんにお聞きしたいです。現在はAIがさまざまな分野に活用されて言っていますが、その影響はどうでしょう?
佐藤
AIの進化の方向性は少し見えてきた気がします。するだけかもしれませんが(笑)。グラフィックやストーリー設定で使うようになっていくだろうといった話は聞くようになりましたね。
橘
確かにそうですね。基本的なシナリオや要素があれば、AIでアニメが制作できるようになったとも。つい最近も、動画生成AIだけで作った実験的なアニメ作品を映画館で観ました。
――いろいろな問題、課題をはらんでいるにはせよ、可能か不可能かで言えば可能になっていますね。
――いろいろな問題、課題をはらんでいるにはせよ、可能か不可能かで言えば可能になっていますね。
佐藤
時代が変わったな、と思わされますね。例えばインタビューであれば昔はテープ起こしに時間がかかりましたし、聞き間違いもたくさんありました。1時間のインタビューを数時間くらいかけて起こして、それをさらに1週間くらいかけて原稿にして……みたいな時代だったのですが、それがいまや……。そういう点では、これからの人たちはうらやましく思えますね。
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『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』【書籍概要】
著者:佐藤辰男
発売日:2026年2月26日(木)
価格:2,200円(税込)
発行:KADOKAWA Game Linkage
発売日:2026年2月26日(木)
価格:2,200円(税込)
発行:KADOKAWA Game Linkage