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ファミコンやプレステ、携帯ハードを経てゲームの戦場はスマートフォンへ【佐藤辰男の連載コラム:おもちゃとゲームの100年史】

文:佐藤辰男

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連載コラム“おもちゃとゲームの100年史 創業者たちのエウレカと創業の地と時の謎”第45回

 
 
第44回では、2004年に始まった携帯型ゲーム機2大プラットフォームーーニンテンドーDSとプレイステーション・ポータブルの激突について触れたが、今回はその後に起こった2005年のマイクロソフトのXbox 360、2006年のソニーのプレイステーション3、任天堂のWiiの3大プラットフォームの激突の話から。

 プレイステーション3は、総額で5,000億円を投資したとのちに言われた“Cell”というマイクロプロセッサーが先行して話題となった。プレイステーション3だけでなく、サーバーやデジタル家電などさまざまな用途で用いることができるという。このCPU製造のために長崎県の諫早(いさはや)に工場を新たに建てたそうだ。

 グラフィックはフルHD規格に対応しHDMI端子を標準で搭載し、ディスクメディアにはBlu-rayが採用された。ホームサーバーとしての機能も充実しネットワーク接続として有線LAN、無線LANが標準搭載され、PlayStateion Networkが開始されストアからゲームをダウンロードして購入できるようになった。

 HDDが正式に搭載されたから、ダウンロードで購入したゲームや音楽CD、動画データも保存可能となった。プレイステーション3は相当ハイスペックだったから、値段も高かった。廉価モデルが62,790円と発表されユーザーの不評を買い、実際の発売時には20GB版HDMI端子付き49,980円、60GB版はオープン価格(北米価格は599ドル)となって、以来販売価格と原価の逆ザヤに悩むことになった。

 家庭用テレビゲームは安くなければという、任天堂の打ちたてた通説に勝てなかったというべきか。いまならソニーの目指すコンピュータエンタテインメントには高い対価を払ってもよい、というユーザーが主流を占めるだろう。時代が追い付かなかったか。

 これに対しWiiは、最先端の技術を投入したハードではなく、値段も25,000円と安価に抑えた。インターフェースのとっつきやすさも特徴的だった。DSの思想がWiiにも引き継がれた。

 当時の任天堂社長である岩田聡は、DSならびにWiiの発売の意図を

 「国内ゲームソフト市場が1997年をピークに縮小を続けていることを大きく危惧していた。その背後に“人々のゲーム離れ”があると考え、2003年に“ゲーム人口の拡大”を基本戦略と定めた。ゲーム人口の拡大に当たっては大胆な策を講じる必要があり、そのために出た結論が“既存のゲームの文法を一度リセットする”ことだ」

 と語ったと『日本デジタルゲーム産業史 増補改訂版』(小山友介、人文書院、2020年)が伝えている。

 ライバルのプレイステーションが、人気大型RPGへの極端な傾斜、ゲームの高度化と開発費の高騰に傾斜していることへのアンチテーゼだった。NINTENDO64で踏んだ轍への自省もあったろう。ローンチタイトルの『Wii Sports』も、翌年発売の『Wii Fit』も確かに既存のゲームの文法を思い切ってリセットしたもので、その転換は見事だった。

 プレイステーション3は、青色半導体レーザーの製造が遅れ、発売当初日本での出荷は10万台に留まった。高価がたたってその後も伸び悩んだが、2009年に発売した新型プレイステーション3で29,980円に抑えてからようやく普及が進んだ。

 一方Wiiは国内外で大ヒットとなったが、2008年ごろには、その特徴を生かしたアイデアが続かず、普及がピークアウトした。両機とも2010年代にはほぼ終了していた。すでにこのころ、ゲームの主戦場は据え置き型でも携帯型ゲーム機でもなく、スマホに移りつつあった。ついに以下の区分のうち、4について触れていこうと思う。

  1. ファミコンの登場
  2. プレイステーションの快進撃
  3. 携帯型ゲーム機が据え置き型ゲーム機を制す
  4. スマホゲームの時代
【4:スマホゲームの時代】

 『ファミ通ゲーム白書』は最初の発刊が2005年で、1987年以来の家庭用ゲーム機のソフト&ハードの市場規模を対象としてきたが、2000年代前半にオンラインゲーム(PC+携帯)が500億円規模となって無視できなくなったとして、『ファミ通ゲーム白書2013』から家庭用ゲーム市場規模にオンライン関連の売り上げを含むかたちへ表示を変更した。

 オンラインのなかには、家庭用ゲーム機におけるソフトのダウンロードの販売、基本料金無料タイトルとパッケージソフトの追加料金、MMORPGや各種ネットサービス月額課金などが含まれている。2003年に遡って数字を修正した。

 その後、いわゆるガラケーのSNS上で提供されたソーシャルゲームが爆発的に成長した。2004年にはGREEが、2006年にはDeNAのモバゲータウン(現・Mobage)が、各々のプラットフォームでゲーム配信サービスを開始し、『釣り★スタ』『怪盗ロワイヤル』などの大ヒットゲームが生まれた。ソーシャルゲームの市場規模は、2007年には60億円だったものが、2011年には2,078億円と爆発的な成長を遂げた。

 2007年に初代iPhoneが登場(日本未発売)し、日本では2008年のiPhone3Gで人気が沸騰、2011年まで覇を競っていたSNSプラットフォームの拡大が一段落し、2012年には、ネイティブアプリを中心としたスマートフォン向けのゲームアプリが登場した。

 その筆頭がガンホーの『パズル&ドラゴンズ』だった。ガンホー・オンライン・エンターテイメントのIR資料によればパズドラは2012年以来2月に12周年を迎えたが、2024年5月時点で6,200万ダウンロードを達成し、いまでもAppStore、Google Playの上位常連だ。

 その後、スマホゲームからはヒット作がどんどん生まれた。近年は『ウマ娘 プリティーダービー』、『モンスターストライク』、『Fate/Grand Order』などが上位を占めている。スマホゲームは据え置き型および携帯型ゲーム機を圧する規模に成長した。

 こうした劇的な市場の変化に合わせて、ファミ通白書も2010年代半ばからソーシャルゲームもスマホゲームもすべて取り込んだゲーム市場の変化を掲載するようになった。

 その結果が下のグラフだ。

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 これを見れば、ほぼ一貫して日本のゲーム市場が拡大を続けてきたことがわかる。

 しかしその中身、とくにプラットフォームの変化は激しく多様化した。グラフを見ればゲームアプリの市場拡大は圧倒的なことは確かだが、依然として任天堂はSwitchによって、ソニーはPS5によって市場の割合を占め、そして近年PCゲームも存在感を高め、世界中のユーザーのさまざまな需要にこたえることができるようになった。
【毎週火曜/金曜夜に更新予定です】

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