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『ポケモン金銀』3年の発売延期の果てに“一生忘れられないゲーム”になった【メモリの無駄づかい】

文:ハチミツ

公開日時:

 三つ子の魂百までと言われますが、幼少期に限らず、ゲームで遊んだ思い出は脳に深く刻まれるもの。

 何年、何十年たっても、「なんでオレ、こんなこと覚えてるんだろ…」と愕然とするような記憶が残りがちでして。

 そんな脳のメモリ(記憶・容量)を無駄づかいしている例を語ります! 今回は1999年11月21日にGBで発売された『ポケットモンスター金・銀』について語ります。

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最初は「1997年発売」発表も、実際の発売日は「1999年11月21日」! 子供にはあまりにも長すぎた発売延期の日々……


 『ポケットモンスター金・銀』は、『ポケットモンスター赤・緑』に続くシリーズ2作目として発売され、『赤緑』と共にポケモンシリーズの土台を築いた名作ゲームです。筆者が選んだのは『銀』のほう。パッケージに描かれていたルギアのかっこよさに一目惚れしました。

 大ヒットした『赤緑』に負けず劣らず面白い作品ですが、当時遊んだゲーマーには忘れられない苦い思い出があります。それが、長きにわたる“発売延期”です。

 『ポケモン金銀』は当初『ポケモン2』という名前で1996年に制作発表がされ、発売は1997年とされていました。では実際の発売日はいつかと言うと、なんと1999年11月21日……当初の予定から2年、発表から数えれば3年の間が空いたのです!

 「歳をとると1年が早く感じる」とはよく言いますが、子供だった筆者はその真逆の現象に襲われます。新作『ポケモン』の発表から発売まで、人生で一番長い約3年を過ごすことになるのです。

 あの頃は友達と「絶対に出る!」と励まし合い、毎月15日には『コロコロコミック』を買って新情報を確認する日々。インターネットが主流ではなく『ポケモン』の新情報は『コロコロ』が最速だった時代です。TVアニメ、ポケモンカード、『ポケットモンスター ピカチュウ』など『ポケモン』というコンテンツは盛況で、『コロコロ』の誌面も半ば独占状態でした。

 しかし、新作『ポケモン』の情報は載っていません。たまに新ポケモンや主人公のグラフィックが紹介されても、気になる発売日は「1997年夏ごろ」「1998年3月下旬」と後ろにズレていくばかり……。『ポケモン』は盛り上がっているのに、一番欲しい新作の進展だけがない。まるでにぎやかな縁日で自分だけが楽しめていないような、寂しい気持ちになったものです。

 1999年の『コロコロ』4月号に「発売日未定」と書かれていたときは、こう思いました。「あ、もう出ないんだ」と……。

ローソンで30分早く売ってもらった『ポケモン銀』。3年待ったゲームは一生の思い出になった


 こう振り返っていると「本当にこのゲームは発売されたのか?」と自分でも思ってしまいますが、もちろん『ポケモン金銀』はちゃんと発売されています。1999年11月21日の日曜日の発売が正式に決まり、1999年夏か秋にはコンビニや家電量販店で予約受付も開始されました。

 筆者は近くのローソンで『ポケモン銀』を予約し、当日は午前9時過ぎには店内で待機していました。そのローソンでの発売解禁は午前10時だったのですが、一刻も早く買って安心したかったのです。長い長い3年間が育んだ疑心暗鬼にすっかり支配されていました。

 そんな子供の内心を見透かされたのでしょうか。店長らしきおじさんが「まだ早いけど、持ってく?」と声をかけてくれ、『ポケモン銀』をカウンターから取り出してくれました。時間もハッキリ覚えています。午前9時30分でした。

 「自分は世界一早くポケモンを遊べる!!」

 今思うと絶対にそんなことないのですが、あの頃の筆者は舞い上がりました。3年間育まれた疑心暗鬼が、30分の早売りを前に吹き飛んだ瞬間です。

 家に帰ってからは『ポケモン銀』を一日中遊び、『ポケモン赤緑』からはるかにパワーアップした面白さにひたすら感動し続けました。26年以上経った今も忘れられない“一生のゲーム”になったのです。

 以上が、筆者が経験した『ポケモン金銀』発売延期の思い出です。こうして整理すると、ほんの3年程度の出来事なのですが、当時は掛け値なしで「一生分」待った気分でした。時の流れとはつくづく不思議だなぁ、と思う次第です。

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