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【ニンテンドーミュージアム】宮本茂氏インタビュー「分かりやすく、使いやすく面白さを伝えることが上手な会社と思ってもらえたら」「IPを含めた任天堂という大きなブランドを選んでもらえる理由を作る」

文:ことめぐ

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 10月2日にいよいよニンテンドーミュージアムがオープンしました。それにさきがけ、9月24日に行われた任天堂代表取締役フェロー・宮本茂氏のグループインタビューをレポートします。

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「どうして任天堂がこんなものを作るんだ」と思われたらとしたら、それが正解なんです【ニンテンドーミュージアム】

――なぜこの場所(京都府宇治市)にミュージアムを作ったのでしょうか?

 みなさんだいぶ任天堂のことをご存知だと思うので「どうして任天堂がこんなものを作るんだ」と思われたらとしたら、それが正解なんです。

 あまり自分たちの説明をしない、お客さんとは商品を通じてコミュニケーションをするとずっと決めていたので、もし山内(※任天堂の元社長・山内溥氏)がいたら「そんなもんやめとけ」って言われるだろうなというのが、一番心配でした(笑)。

 そんななか、なぜ今回のニンテンドーミュージアムが実現したのかというと、1つは資料保護の意味合いがありました。社内でずっといろんな資料を残してきて、特にアーケードゲームの頃の資料とかは動かないと意味がないので、それを動く状態で置いておくのがすごく大変で。

 それ以外にも、ゲームもライセンシーさんのソフトも含めると毎年何百本も残っていく。それらのパッケージをただ置いていてもしょうがないので「これ、なんとか管理していかなあかんよね」という話がひとつありました。

 もう一方で、毎年新入社員が100人から200人入ってきて、僕が任天堂の説明をする新入社員セミナーみたいな講座を持っているんですけど、だいたい2時間しゃべっていたのが2時間半になり、最近は3時間近くになってくるという膨大な話になってきて。

 そのほとんどが「任天堂とはなんぞや?」という説明をする時間なんですね。それなりに面白がってはくれるんですけど、20年ぐらいそれをやってると、もういい加減にそこを引退したいよなと思うようになってきて。

 その時にしゃべっている話が、結構ここ(ニンテンドーミュージアム)の内容の展示のベースになってます。

 あと、社員の方の中に、“ウルトラマシーン”に思い出があったり、“ラブテスター”という得体の知れない「2人の愛情度を測ります」というとても怪しい商品でしたが、そういう商品にすごい思い入れがあったりする、任天堂愛の高い開発者がたくさんいて。Wiiの時なんかにはそういう人たちが積極的にいろんな開発をしていってくれたんですね。

 そういうのが今の『ゼルダの伝説』なんかで300人とか400人とかの人で作るようになってきて、何千人というスタッフになってきた時に「果たして残していけるのだろうか?」「引き継いでいけるのか?」っていうこともあって、任天堂社内でも「“任天堂らしさ”っていうのをきちんと維持していくようにせんとあかんよね」っていうことが話題になってきています。

 で、そういうことをいっている時に、ちょうどこの宇治の工場の稼働が止まることになりまして。ここは一番古い工場なんですが、ここの製造ライン全部を別の工場に移して、配送も別途で配送センターがあるので、この向上について「じゃあどうしようか」と。

 「売ったらいいんちゃう?」とみたいな話もあったんです。でもここはやっぱり我々の創業の思い出の場所なんで「なんとか残していきたいよね」っていう話をしていたら、「ミュージアムにしたらどうですかね?」っていう話題が出てきたんです。

 鳥羽街道に元々の本社があって、そこにも工場があったので、そこを使うか、ここを使ってミュージアムをやろうと決めたんですね。

 で、結果的にここ小倉の方がバスのアクセスとかいろんなことを含めてよかろうということで、ここに決めました。

 いろいろな条件が集まってできたんですけども、やっぱり任天堂の過去の資産を全部残して、それを通じて任天堂が何なのかを理解してもらおうというとき、それなら社員だけではなくて、今親子3世代まで任天堂のこと知ってる人たちが出てきてくれたので、そのみなさんに見てもらって任天堂をわかってもらえたらいいなと。

 任天堂は今の世の中のいろいろな技術を使って、任天堂らしいものづくりをずっと続けていくし、何もゲームに限らず映像もやっていきますし、いろんなエンターテインメントのコンテンツを作っていく会社なんです、ということを理解してもらうのにいいきっかけになるかな? ということで作ってみました。……一気に喋りました(笑)。

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展示は自分に思い出があるものを自由に楽しんでほしい。各ハードのテーマやコントローラーの進化などもおすすめ【ニンテンドーミュージアム】


――親子3世代はもちろん、ご高齢の方、海外の方までいろいろな方が任天堂の製品を愛しています。各世代にどのようにこの施設を楽しんでもらいたいですか? また、海外などに同じような施設を作られる予定はありますか?

 まず、大前提として自由に見てほしいです。誰にどこを見てもらうということもなく、自分に思い出があるものを見ていただけたらいいですし、どっちかというと、僕らがそこで面白い発見ができたらもっといいかなと思っています。

 海外の人にも見てもらうことを前提に、全部ではないもののローカライズも行い、できるだけ見てわかる展示に徹しています。体験コーナーでは、“百人一首”なんて日本語のものをやっていいのかという考えもありました。

 百人一首協会に怒られるかもしれませんけどね。絵札を取札にしていると。百人一首は本来、“字札”が取札で、しかもお姫様とかお坊さんを踏みつけて歩いているという(笑)。

 そこでいろんな体験をしてもらって、グローバルにいろんな人たちが「任天堂はやっぱり面白いことをインターフェイスも含めて、分かりやすく、使いやすく、面白さを伝えることが上手な会社なんだな」と伝わればいいなという思いで作っています。

 さっきお話したようにビジネスで展開してるのではなくて、任天堂のことをわかってもらうため、任天堂の社員が任天堂を理解するためという目的で作っているので、あちこちに展開するつもりはまったくありません。

 どちらかと言うとこの中で、もうちょっとこれからどう広がっていくのか、現に例えばこの部屋なんですけども、ここは僕が勝手に“アートギャラリー”と呼んでまして。

 たぶんそのあたりから(会見が行われている部屋野の端を指さしながら)『マリオ』のドットとか地形のラフスケッチ、最終スケッチとかがあり、この辺りに来ると『スプラトゥーン』、最新の『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ キングダム』とかのイラストとかそういうものが飾られる場所になっていきます。

 将来、映像もこれから増えていったら、どこかで映像を見てもらえるようにしたらいいかとか、任天堂の展開に合わせて増殖していくと思います。

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――館内の展示エリアの中で、ご自身が直接設計したものや、ご自身にとって特に記念的な展示品はありますか?

 どれに思い入れがというのは悩みますね、意外と「これ!」と限定できないなという。

 僕は業務用の『ドンキーコング』を作り、そこからファミコンに移っていった時代などは確かに思い出深いんですけど、それ以降の各ハードを設計していく時のコンセプトも全部思い出があるので、あまり特定できないんですね。

 設計したものといわれると、業務用の『ドンキーコング』はほとんど社外のプログラマーと一緒にあの箱もイラストも含めて全部設計しました。

 あと『ブロック崩し』『TVゲーム レーシング112』が展示してあると思うのですが、あれは入社当時にした仕事で、僕は工業デザインなので筐体の設計までしました。「設計」という意味ではそれですね。でも、そのほかのものもすべてに思い出があります。

 また、各ハードウェアの展示の裏面、外側の面が全部コンセプト展示になってるんですね。これをゆっくり見ていただくと、任天堂が世界で初めてやったこと、任天堂がチャレンジしたこと、多少無理をしながらチャレンジしたこと、このハードで初めて生まれたキャラクターというのが一応分かりやすく囲ってあったりします。

 そのハードのテーマ「ゲームが変わる、64が変える。」みたいな心意気とかを書いてあるので、それを見ていただけるといいかなと思います。

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▲2階の展示の様子。

 個別の展示という意味では、ちょっと離れるんですけど、大型のリモコンコントローラーがある1階のフロアには、“コントローラーの進化”を展示しています。

 これは新入社員研修でもやるんですけども、業務用の『ドンキーコング』から始まり『ゲーム&ウォッチ』、その業務用の機械をどうやって移植しようかということで、十字ボタンというのが生まれます。

 そして、プラスキーというのがジョイパッドのスタンダードの原型になっていき、それはファミコンになり、スーパーファミコンでLRボタンがついて64(ロクヨン)でアナログのスティックが付く、Wiiでモーションコントローラー、ポインティングとかいろんな技術を出しました。

 ほとんどがゲーム機では世界初といえるような技術ばかりで、僕らのプライドでもあります。そのコーナーに取りまとめてありますので、よかったら見ていってください。

「IPを含めた任天堂という大きなブランドを選んでもらえる理由を作る」ことが大きなテーマ【ニンテンドーミュージアム】


――このミュージアムでの発信を、中長期の任天堂の成長戦略にどう生かしていくのか、どういう位置づけになるのか教えて下さい。

 特に倉庫で眠らせておくのがもったいないので、こうしてみんなが見える場所に、社員も含めて出したとか一番大きな目的で、あまり中長期的な戦略とあまり関係がないんですね。

 ただ、こうして3世代いろいろな人たちにこのミュージアムに来て、任天堂は普段言われてるゲームの競合メーカーとか、新しい最先端技術とは全然関係ない場所にある会社なんだと思ってもらえるのが1番大事なことだと思っています。

 よく見てもらうと、今までいろんなアナリストさんに「どうしてネットワークはやらないのか」「モバイルはどうなんだ」「先端のチップはどうして使わないのか」といわれてきましたけども、冷静に見ていただけると、ちゃんとやっているじゃないか、と。

 でも「今が売り時ではない」という時には動かず、適正な売り時が来た時に任天堂は製品化しているという歴史があることは、わかってもらえると思うんですね。それを見ることで、任天堂を信用していただく、株主のみなさんにもIR的にも任天堂を信用して、我々に任せてもらえるという部分は、ある意味での長期展望になりますかね。

――今度USJにドンキーコングエリアができますし、任天堂IPに触れる人口がさらに拡大していっていると感じます。今回のニンテンドーミュージアムは、親子3世代で楽しめるという部分も含めて非常に有効な手段だと考えています。今後IPの拡大をしていく中で、どのような企業像を目指していくのでしょうか。

 2階の外側の壁にキャラクター展示があります。1階のウェルカムゾーンにもたくさんのキャラクターを置いているんですけど、あまりああいうことを最初は考えていなくて。

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▲1階ウェルカムゾーンのキャラクター展示。

 もっと今までの商品やハードウェアの展示を中心に作ってきたんですが、やっぱり任天堂全体を理解してもらおうと思うと、そのIPを見てもらうのが1番かということで、そういう場所を作っていきました。

 今はこのIPを知ってもらって、任天堂のゲームに戻ってもらうという、任天堂のゲームへの窓口として、IPやテーマパーク、映画、という風に動いています。

 でももっと将来でいうと、その任天堂というIPを含めた大きなブランドがあって、その中にゲームは当然あるけど。もし徐々にもっと魅力的なものを作っていけたら、その中にさらにいろいろなものが入ってくるというイメージで考えていけたらと思ってます。

 やっぱりみんながしっかり覚えているのはIPなので。ゲームは動かなくなったら、新しいバージョンに変わっていったら、もう動かなくなっていく。これがすごく寂しくて。

 映像を始めたのも、実はバーチャルコンソールでしか僕らの作ったものは遊べなくなっていくのかという寂しさがありまして。ミュージアムで遊べるようにしても限界があるよなと。

 けど映像って、いつまで経っても残るというのも理由のひとつですし、そういうものがどんどん増えていって、任天堂全体が大きなブランドに……僕は今いつもいってるんですけど「任天堂を選んでもらえる理由を作る」ということをテーマにしてまして。

 「小学1年生になった! じゃあ任天堂の何を買おう?」という風に“任天堂のゲームを買う”ではなくて、「小学生1年生になったら任天堂の〇〇を買ってあげる!」みたいな世の中にしていけたらいいなと思っています。

ニンテンドーミュージアムのロゴは、実はパープル!?


――このミュージアムを訪れた時、まずみなさんの目に入ってくるのがロゴ(看板)だと思うのですが、この色味はどういった由来で決まったのでしょうか? また、込められた思いなどがあればお聞きしたいです。

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▲宮本氏の頭上にあるのがニンテンドーミュージアムのロゴ。

 あまり深い意味はないんですよ。任天堂がこのスクエアタイプのロゴで展開していくというのは、真っ赤にした時点からいろいろ展開してきていました。ニンテンドーショップ(Nintendo TOKYO、OSAKA、KYOTO)も全部この赤に白文字で展開してるんです。

 でもあれはセールスのために使っているロゴですし、ここは歴史展示であるし、任天堂も事務関係にはグレーを使っているんですね。だからそういうのもあり、真っ赤ではないなっていうところまで決まったんですけど、「僕はパープルにしてくれ!」と(笑)。

 なぜ? って、京都だからと。単純にパープルの任天堂をやりたかったんですけど、現場としては建物全体をシックに抑えてるので、パープルは色がキツすぎる、となりまして。

 実はこの色“ミュージアムグレーパープル”と呼んでるんですよ。なぜかというと、僕が「パープルじゃないやないか!」っていうから、みんなが言い訳のようにパープルといってるんですけど、これグレーです(笑)。

 パープルと見れば見られなくもない、今まさに指摘していただいた通りで、一応なんとか辻褄は合ってるのかなと。販売系統と分けようというのが大きな目的です。

任天堂らしさを守りながら、新しいものにチャレンジしていく【ニンテンドーミュージアム】


――先ほど京都にこだわりがあるというお話がありましたが、様々な作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出す上での京都という土地の魅力をどのように感じていますか?

 これはね、いろいろな視点であちこちでお話することがあるんですけど、特に一般に言われる京都の文化を大事にするとか、京都の伝統を守って何かを作るとかっていう強度ではないんですね。

 最初にも言いましたけど、山内がこれを作ると聞いたら「やめとけよ」と言いそうなぐらい、山内はとにかく「おごるな」という考え方でした。京都はやっぱり盛者必衰というか、平家物語ですし。

 方丈記の“ゆく川の流れは絶えずして、しかももとのの水にあらず”も大好きなんですけど、そんなフレーズが好きだなと思うのは、京都にいるからかもわかりません。

 けど、僕らもその中で流れてるんですけど、よどまずにずっと流れてる状態をどうして維持したらいいのかを考えるんですけど、だからこそ「おごるな」と。必ず栄えたものは滅びる、そのためには新しい栄えたものを作っていく。

 この考え方というのは、京都に根付いてはいるんですけども、やっぱりエンターテイメントの会社には一番大事なことかなというので、山内の教育を受けたものとして考えています。

 また、30歳くらいの時期に「京都の田舎にくすぶってるとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出て行かなきゃ」なんて言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんです。

 けど、その“はしか”のような頃を過ぎて40歳ぐらいまで京都で仕事をしていると、なんか妙に30歳ぐらいで一緒に仕事を始めた仲間が全部一緒にまた仕事してる、そして何か作ったものが世界で売れる。

 「なんでかな?」と思うと、東京に行くと東京で流行ってるものに誘われて、日本で売れるものを作る。逆にそれをすることで、日本でしか売れないものを作っていることに割と気付かないんじゃないか? と思うようになってきました。

 だから僕は“東京ローカル”と社内で言っています。京都がグローバルということじゃなくて、東京はローカルという意味です。そういう思想で行くんなら「せめてニューヨークと言えよ」っていう風に思うようになって(笑)。なぜそういうことを言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。

 僕は園部という丹波の田舎の者なので、田舎のコンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」「俺は東京来たぞ」と思ったかもしれません。

 でもここでのんびり仕事ができ、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都に好きな人が働いている。そして、京都の中で何をするかというと、自分らが感じるものを作る、周りに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。

 その結果、それって結構、世界で売れてるやない? と。そうすると一番内部にあるものがグローバルで、グローバルと言われているものは別にグローバルじゃなのではないか? という風に40歳ぐらいになると思うようになり、今はそれを若手に吹き込んでます(笑)。

――館内を見て、御社の長い歴史を感じました。このミュージアムを見て、将来の任天堂への何らかのヒントを得られたものはありますか?

 さっきのIPに関わる部分っていうのはまた新しい構造になっていくとは思うんですけど、基本的に見ていただいてわかるように、50年、60年ぐらい前からのものを、遊びをその世代に合わせてグレードアップしていったり、リニューアルしていっています。

 例えば子ども・小学生時代は6年しかないわけで、その時代に遊びを経験して卒業していくんですよね。そうすると、一定の世代が経験したレイヤーのようなものは常にあると思います。それだけでも結構大きなビジネスになるかなと思っています。

 あとはここまで積み上げてきたので、その流れからあまり逸脱してないものをみんなが作ろうとすることで、任天堂らしさというのができていくと思います。

 一方で、今言っていただいたチャレンジはいつもしています。変革を望まないのではなくて、チャレンジで新しいものを作っていく。ただし、ベースに流れてるコンセプト、それは家族であったり、遊びであったり、わかりやすさであったりで、そこはちゃんと守って作っていこうと。

 それが社員に根付いていけば、ずっと新しい任天堂が膨らんでいくと期待してます。……引退の言葉みたいですが(笑)。

ニンテンドーミュージアムに館長がいない理由や宇治市・近鉄電車との取り組み


――1階はインタラクティブな実際にプレイできるものがあって、2階の展示物は解説の文章が少ない、見てわかるものにされていると思うんですけども、それはやはりワールドワイドを意識していらっしゃいますか? 「文章があった方がいいのではないか?」というお話などはあったのでしょうか?

 将来ガイド役が必要になるんじゃないか、もっとより詳しい解説を聞きたい人がでるんじゃないかというのは、その通りだと思うので、その辺りはまたこれから考えていこうと思っています。ただ、今回はものすごいボリュームになるなっていうのが心配でした。すべての人が全部に興味があるわけではないですし。

 それに一般的に日本にいると美術館とか、美術展って、じっくりと見る構造にはなっていなくて。批判するわけではないんですけど、入口のあたりに人が大量にたまって、つまらない歴史年表を読んでいて、奥に入ったら大事なものを割と簡単に見られるんです。ああいう構造の展示にしたくないなとすごく思ったんですね。
 
 なので、入ったら自由に見られる、それからくどくど解説せずに自分で感じてもらう、ということを大事にとりあえず作ってみようということで、こういう仕上げになってます。いずれちょっと詳しい解説ブロックを作るなどはしていこうと思っています。

――このミュージアムには館長がいないという認識でよろしいでしょうか?

 はい、特にいないです。ただミュージアムの専属スタッフはいて、そのマネージャーが何人かいます。

――リクエストなんですが、一生館長は置かないほうがいいのではないかなと思いました。宮本さんはじめとした、人の名前と人の写真がほぼない状態で、これだけのミュージアムができるというのは、過去に例のないことだと思いますので、いっそのこと一生涯館長なしでいっていただきたいなと思いました。

 ありがとうございます。でも、僕は名誉館長になりたいなと(笑)。

 今おっしゃっていたことはすごく大事で。ちょっと山内の色紙を置いたりはしているんですけども、基本的に横井さん(※元任天堂社員の横井軍平氏。ゲームボーイなどの開発に携わった)の名前を出すかどうかとか、ものすごく悩みました。で、結果的には一切個人を出さずに商品で全部コミュニケーションしようと。

 ただ、ちょっと言い訳がましいのですが、玄関を入ったところの左手に僕のサインがあります。あれは唯一個人名が出てるので、僕はすごく心苦しいんです。

 実はあれは建物を建てる時、基礎にサインをするんですが、みんなでサインをして最後に埋めて、剥がした時に出てくるというものとして書いたんですね。でも誰も自分の後に書かずに「せっかく書いてあるんだから、見せたらどう?」と、窓をくり抜いて見せています。

 ここ数カ月、あれをなにで塞ごうかという話をずっとしてたんですけど「いや、あれはあってもいいんじゃない?」という社内の人が多くなってきたので、今のところ残しています。それ以外には、個人名はほとんど出てこない構造にしています。

――ミュージアムのオープンに合わせて、地元の宇治市や京都を取材していると、やはりオープンをすごく期待する声が多く聞きました。京都にとって、地域にとって、どういう施設になっていきたいかなど、思いをお聞かせください。

 そうですね、工場を使うというのが派手なお城みたいなものを作るんじゃなくて任天堂らしいですよね。

 先ほどの通り、ここと旧本社のどちらかというお話もしましたが、バスの交通の便に加えてもうひとつ、この小倉エリアがだいぶ高齢化が進んでまして。我々も工場を最初に持った場所なので、そこが活性化するのならぜひとも協力したいという思いもありました。

 宇治市さんや近鉄電車さんにも非常にご協力いただいてまして。これからちょうど近鉄小倉駅前のロータリーが都市計画で準備されていて、それができるとここまでまっすぐお客さんが来れるということもあり、地域と一緒に、近隣の方に嫌われない場所になれるよう展開していきたいと思ってます。

 まだ近鉄の小倉駅がバリアフリーになっておらず、現状ちょっと迂回した踏切を通るようになっているので、これも近い将来バリアフリーにしていただけることになっています。そういう展開もいろいろ進めています。

現行の製品は、ある程度時間が経過したあとで場所も含めて展示を考えていく【ニンテンドーミュージアム】


――歴史で生まれた製品を展示されていると思うんですけれども、これから生み出される任天堂の製品もこのミュージアムに今後展示されていくのでしょうか?

 そうですね、もちろん展示して残していく価値があると思われるものを作っていけたらの話なんですけども。一応今の段階でほぼ埋めてるので、何かをずらして何かをするというよりは、将来もう少したまったら、場所を考えるとか含めて展開していけたらと思っています。

――これからもし新しい資料展示をするとなったら、新しい用地を用意されるということでしょうか?

 そうですね。今のコンセプトで行くと、新しいものはどこかに保存しておきますけど、それをどこかで見せないとみなさんがもう忘れてしまうなという頃になっていくと思います。

 今、会見が行われてるこの場所をアートスペースにしていこうかという話にもなっていて。例えば、今展示しているのはSwitchのハード以外は20年以上経ったものばかりで、『Splatoon』とかは展示していないんんですよね。

 ただ、やっぱり今のお客さんにとっては「『Splatoon』はどうなってんだ?」となるでしょうし、アートスペースでそういうものはフォローしていこうと思います。現存の機械が市場にあるようなものは、まだここの対象ではないと思っています。

――1回の来場で付与されるのは10個コインです。ですが、すべてを体験をするのにはその枚数では足りません。これはどういう設定なのでしょうか?

 フレキシブルに対応できるということで、コインシステムというのは、みんなで決めたことです。ただ、これは本当に運営してみないとわかんないですけれども、長蛇の列っていうのは僕は大嫌いで。どんなに有名なラーメン屋でも5人以上並んでると並ばない(笑)。

 なので、ここもスムーズに遊んでほしいなと思ってまして。ただ、それなりの人数が入っていかないと一応採算の問題もありますし、そういうところで今はとりあえずの数字を決めて運営してます。

 様子を見ながら少しコインの枚数をサービスしたりしてもいいかなとは思ってるんですけど、今全部遊んでいただくと、1日に500人ぐらいしか入ってもらえない。

 やっぱり1500人から2000人ぐらいは最低入っていただけるようにして運営したいと思うので、今のコイン枚数でも厳しい状態になるのと思っていますが、まずは試してもらっています。

――リピーターとして何回も来てもらいたい、ということだと思ったのですが。

 それもあります。たぶん見きれないですよね。「うわー!」っていって、いくつか見てもう満足しちゃって帰るけど、いろんなものを見逃してしまうと思うんです。

 もう1回来ていただくことは全然歓迎で、できるだけ入館料を安く抑えようという、これもかなり努力はしたつもりです。

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宮本さんは終始笑顔で、どんな質問に対しても笑顔で答えていたのが印象的でした。

 筆者が気になっていたバリアフリーについても触れてくださいました。

 初めて小倉駅に来た時、バリアフリーに対応していないことがとても気がかりだったので対応を進めていると聞いて安心しました。
 
 いよいよオープンを迎えた「ニンテンドーミュージアム」。

 宮本さん、任天堂がニンテンドーミュージアムに込めた「想い」を感じながら、ぜひじっくりと展示や体験を味わってみてください。

ニンテンドーミュージアム施設概要

■施設名:ニンテンドーミュージアム
■開業日:2024年10月2日(水)
■所在地:〒611-0042 京都府宇治市小倉町神楽田56番地
■交通アクセス:
近鉄京都線「小倉駅」東口から徒歩5分
JR奈良線「JR小倉駅」北出口から徒歩8分
※ご来館の際は、公共交通機関(タクシー除く)をご利用ください。

■営業時間:10:00~18:00
■休館日:毎週火曜日および年末年始(12月30日~1月3日)
※火曜日が祝日の場合は営業。翌水曜日が振替で休館となります。


ニンテンドーミュージアムのアクセス・最寄り駅は? 駐車場・駐輪場はないので注意


 ニンテンドーミュージアムの最寄り駅は近鉄京都線・小倉駅(おぐらえき)。

 京都駅から近鉄京都線を使って1本、約20分程で小倉駅に。駅に着いたら東口に向い、そこから歩いて約5分ほど到着します。

 なお、ニンテンドーミュージアムには駐車場・駐輪場はありませんので、自家用車や自転車で行かないようにご注意ください。

アクセス
・近鉄京都線「小倉駅」東口から徒歩5分
・JR奈良線「JR小倉駅」北出口から徒歩8分
・JR奈良線「宇治駅」北出口から徒歩22分

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