昨年12月に逝去された日本ファルコム会長の加藤正幸氏。3月14日には業界でかかわりがあった人々や、多くのファンが氏を偲ぶ場として“お別れの会”が執り行われました。
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本記事では式典内での、アニメーション監督・新海誠氏による加藤氏へ向けた弔辞を掲載します。
映画『君の名は。』に『イース』が与えた影響。加藤会長から新海氏が受け取った“原風景”
加藤会長、新津誠です。大変ご無沙汰しております。
僕がファルコムに在籍していたのは、1995年から2000年の、今思えばたった5年間でした。それほど短い期間だったのに、加藤会長は今でも僕の夢に出てくる人の第1位です。
ちなみに2位は、初恋の相手です。初恋は14歳の頃で、僕は発売されたばかりの『イース』にも夢中でした。だから僕の中では『イース』も、初恋も、加藤会長もどこかつながっています。会長にお話したら「気持ち悪いな」と叱られそうですが。
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会長の声を、今もよく覚えています。30年前、入社早々に会長直属のデザインチームに配属された僕は、一日に何度も社長室から名前を呼ばれました。
みなさんご存知のように、とても厳しい方です。褒めていただけることなんて滅多にありません。だから「新津!」と呼ぶあの声はちょっとした恐怖でしたが、でも合格発表を聞くように毎回ドキドキもしていました。
というのは、会長はいつでも答えを知っていたからです。必死に作ったものが本当にちゃんと美しいのか、ちゃんと面白いのか、いつも教えてくれる、一緒に考え抜いてくださる方でした。
最後はほとんど喧嘩別れでした。「自分の作品を作りたいから、ファルコムを辞めたい」という僕の申し出を、会長は最後まで認めてはくださいませんでした。
ファルコムを辞めた僕は、ぎこちなくアニメーションを作りはじめました。会長にバレないように、“新津誠”ではなく“新海誠”と名前も変えました。
アニメを作りはじめてからは、ずいぶん苦労して、アニメ業界からは馬鹿にもされました。「ゲーム業界から来たなにも知らないやつが、変なアニメを作っている」と。
そういうとき、僕はいつも加藤会長の言葉を思い出していました。「なあ、俺たちはアマチュアだから面白いものができるんだぜ」と。ほとんど負け惜しみみたいな言葉ですが、今でも僕の心の拠り所です。
ちなみに“新海”と名前を変えても、会長には一瞬でバレていたそうですね。結局、ファルコムを辞めた後も、僕はずっと加藤会長の影響のもとにいます。
僕の作った『君の名は。』という映画で、“瀧”と“三葉”が走りながら名前を呼び合うシーン。あの円い外輪山は、『イース』の“バギュ=バデット(注1)”です。
14歳の頃に会長にいただいた風景は、今でも僕の原風景です。そして僕は、今でも夢で会長に叱られています。目が覚めると、背筋が伸びています。
いただいてきたもののお礼を、会長にずっと直接言いたかった。言うつもりでした。(日本ファルコムの)近藤社長と会うたびに、「会長と会いたいんだよね」「そろそろ会ってもらえるかな?」なんて話をしていました。
25年前に言えなかった言葉が、弔辞になるなんて、とても、とてもとても寂しいです。
でも、加藤会長の声は、今でも僕の内側にあります。今でも聞こえます。本当にありがとうございました。
「加藤正幸 お別れの会」
— 日本ファルコム (@nihonfalcom) March 14, 2025
ご来臨くださいました皆さまに感謝申し上げます。
これからもファルコムをどうぞよろしくお願いいたします。https://t.co/uJnrsaSKVE pic.twitter.com/vcNZxHOOn7