コナミデジタルエンターテイメントが贈るRPG「幻想水滸伝」シリーズ。1995年12月15日に誕生して今年で30周年を迎えた本シリーズは、今年3月に『幻想水滸伝 I&II HDリマスター 門の紋章戦争 / デュナン統一戦争』が発売され、アニメ化、コミカライズ、舞台化など多岐にわたる展開が始動。いまも多くのゲームファンを魅了し続けています。
「なぜいまも愛され続けているのか?」。その答え合わせを行うべく、今回は12月21日に大千穐楽を迎え、現在は見逃し配信チケット販売中の舞台「幻想水滸伝-門の紋章戦争篇-」の脚本・演出を務めた中屋敷法仁氏と、2026年1月12日まで開館中のシリーズ30周年記念「シリーズ30周年記念 幻想水滸伝I&II展 〜幻想博物館〜」のプロデューサーであり、“幻想博物館”館長を務める渡邉美聡氏の対談を実施。
「なぜいまも愛され続けているのか?」。その答え合わせを行うべく、今回は12月21日に大千穐楽を迎え、現在は見逃し配信チケット販売中の舞台「幻想水滸伝-門の紋章戦争篇-」の脚本・演出を務めた中屋敷法仁氏と、2026年1月12日まで開館中のシリーズ30周年記念「シリーズ30周年記念 幻想水滸伝I&II展 〜幻想博物館〜」のプロデューサーであり、“幻想博物館”館長を務める渡邉美聡氏の対談を実施。
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これから配信での観劇や来館を予定している人、そしてすでに体験済みの人は両氏が紡いだ言葉を受け止め、今回のメディアミックスにどう影響したのかなどを知れば、各コンテンツへの解像度がより高くなるはずです。
中屋敷法仁:舞台「幻想水滸伝-門の紋章戦争篇-」脚本・演出
渡邉美聡:「シリーズ30周年記念 幻想水滸伝I&II展 ~幻想博物館~」 館長・プロデューサー
索引
閉じる初めて体験したRPGが『幻想水滸伝I』。そのときに得た学びがその後の人生に大きな影響を与えた(渡邉氏)
中屋敷氏と渡邉氏の対談は「幻想水滸伝」シリーズとの出会い、そしてどのような部分に心を奪われたという話題からスタート。
渡邉
じつは私は、(取材日当日の)12月14日が誕生日なんです。30年前の12月15日が『幻想水滸伝I』の発売日だったので、当時小学生の頃に父から誕生日プレゼントとして、PlayStationと『幻想水滸伝I』をもらったのが、「幻想水滸伝」との出会いです。RPGをプレイしたのも、これが初めてです。
中屋敷
おめでとうございます。
渡邉
ありがとうございます。言わせてしまい、すみません(笑)。「幻想水滸伝」からは群像劇のおもしろさ、戦記ものとしての歴史のおもしろさ、細部にまで意識が行き届いた作り手の熱意など、本当に多くのことを学びました。私にとって原点であり大好きな作品ですので、30周年という節目に関わることができ、大変光栄に思っています。
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中屋敷
私のほうは『幻想水滸伝I』は友だちから借りてプレイしていました。当時は皆がゲームを買うことができなかったので、友だち同士でソフトをひとり1本ずつ購入し、回してシェアしていたんです。
当時、最も印象に残ったのは「こんなにも思い通りにならないのか……」という感覚でした。子ども心には、それがネガティブに捉えられた記憶があります。
ご存じのように『幻想水滸伝I』は好きなキャラクターが死亡する、父親が仲間になると思っていたらそうならない、といった展開です。
だから「なぜこんなにも思い通りにならないゲームなのだろう」という思いが強く残りました。そういった衝撃がずっと残り続けていたというのが正直なところです。
ゲームの世界は思い通りにできるからこそ楽しいと思っていたのに、『幻想水滸伝I』が初めて「思い通りにならない」という体験をもたらし、それが非常に印象的でした。
当時、最も印象に残ったのは「こんなにも思い通りにならないのか……」という感覚でした。子ども心には、それがネガティブに捉えられた記憶があります。
ご存じのように『幻想水滸伝I』は好きなキャラクターが死亡する、父親が仲間になると思っていたらそうならない、といった展開です。
だから「なぜこんなにも思い通りにならないゲームなのだろう」という思いが強く残りました。そういった衝撃がずっと残り続けていたというのが正直なところです。
ゲームの世界は思い通りにできるからこそ楽しいと思っていたのに、『幻想水滸伝I』が初めて「思い通りにならない」という体験をもたらし、それが非常に印象的でした。
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その後はお互いが作中で注目したキャラクターを語り、プレイした当時と現在で受け止め方が違うキャラクターの話題へ。
渡邉
これほど多くのキャラクターが登場する作品は、後にも先にもあまりないので、選ぶのはなかなか難しいですよね。そのなかでも私が驚いたのはオデッサで、女性が戦争、しかも反乱軍的なポジションのリーダーを務めている点です。
たとえば『スター・ウォーズ』シリーズならば、本作と物語の軸は同じで「帝国の圧政に立ち向かう物語」ですが、30年前の当時はまだ、主人公である男性がリーダーになることが多かったです。
しかし、『幻想水滸伝I』は明確に、初期のリーダーがオデッサという女性であるという点が衝撃的でした。さらにその人物像が「男勝り」、「戦う女は強い」みたいな「当時のステレオタイプから外れた女性」として描かれるのではなく、「等身大のひとりの人間」として描かれていて、共感することができました。
たとえば『スター・ウォーズ』シリーズならば、本作と物語の軸は同じで「帝国の圧政に立ち向かう物語」ですが、30年前の当時はまだ、主人公である男性がリーダーになることが多かったです。
しかし、『幻想水滸伝I』は明確に、初期のリーダーがオデッサという女性であるという点が衝撃的でした。さらにその人物像が「男勝り」、「戦う女は強い」みたいな「当時のステレオタイプから外れた女性」として描かれるのではなく、「等身大のひとりの人間」として描かれていて、共感することができました。
中屋敷
ラスボスもウィンディですからね。単に悪しき皇帝を討伐するという話ではないので、不思議だなと思っていました。たしかに女性キャラクターが物語の鍵を握っているところが特徴的ですね。
また、私はいまあらためて、非戦闘員である仲間の存在が非常に好きです。舞台版を作る際に、彼らを多く登場させたいと考えるのが最も楽しいところなのですが、時間の都合で叶わないこともあります。
つまり108人の戦闘員を集める話ではなく、メロディやウインドウといった、戦わない人々も仲間であるという、その豊かさが素晴らしいと思います。
また、私はいまあらためて、非戦闘員である仲間の存在が非常に好きです。舞台版を作る際に、彼らを多く登場させたいと考えるのが最も楽しいところなのですが、時間の都合で叶わないこともあります。
つまり108人の戦闘員を集める話ではなく、メロディやウインドウといった、戦わない人々も仲間であるという、その豊かさが素晴らしいと思います。
渡邉
確かに、「組織」を明確に学んだ最初の作品だったかもしれません。本拠地には料理人がいたり、倉庫番がいたり、単にメインの戦闘員だけではないという点によって作中の文化風俗といった世界観を伝える役割も果たしているのだと感じました。
中屋敷
あとは108人のビジュアルも大変気に入っています。クセのある顔つきのキャラクターや怪しげな人物など、単に全員が立派な人物というわけではなく、ひとクセもふたクセもある。ずるい部分や短気な部分、奥ゆかしい部分など、人間らしさが色濃く出ている点も、非常に魅力的だと思います。
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そんなシリーズならではのキャラクターたちの描き方に感銘を受けたおふたりは、続けて30年たったからこそ見方が変わったキャラクターをチョイス。
中屋敷
じつはプレイした当時、グレミオはあまり好きではなかったんです。ステータスはそこまで高くなく、「ぼっちゃんを守る」と言っているわりにあまり頼りにならないなと(苦笑)。
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当時は子どもだったので、ぼっちゃん側の視点でグレミオを見ていました。「お前はぼっちゃんを全然守れていないじゃないか」と思いながら、苛立っていましたね。
渡邉
私は『幻想水滸伝I』のフリックさんですね。子どもの頃の印象だと“美青年で強くて頼れるお兄さん”でしたが、大人になってあらためてプレイしてみると、フリックさんは“相当子どもっぽい”と感じました(笑)。
舞台を観劇した際も、「あ、ぼっちゃんにそんな言い方をするんだ」と驚きまして。余裕がないですよね。でも『幻想水滸伝II』になると、その印象はなくなるんですよね。
ナンバリングが進むたびにキャラクターの成長や変化を明確に感じられ、それぞれの人生を観察できるところが、「幻想水滸伝」シリーズを追っていく魅力のひとつだと感じています。
舞台を観劇した際も、「あ、ぼっちゃんにそんな言い方をするんだ」と驚きまして。余裕がないですよね。でも『幻想水滸伝II』になると、その印象はなくなるんですよね。
ナンバリングが進むたびにキャラクターの成長や変化を明確に感じられ、それぞれの人生を観察できるところが、「幻想水滸伝」シリーズを追っていく魅力のひとつだと感じています。
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中屋敷
たしかに舞台で稽古を進めていた際も、フリックはあらためて「解放軍のリーダーになる器ではない」と感じましたね。そう感じる理由には“若さと未熟さ”があるんじゃないかなと。物語終盤ではサンチェスから「あなたは未熟だ」と指摘されますし、そこはていねいに拾いたいなと考えました。
物語やキャラクターを俯瞰的に見られる博物館は、舞台の脚本を書く前に見ておきたかった(中屋敷氏)
舞台と博物館と表現方法は異なるも、同時期に「幻想水滸伝」が持つ魅力のアプローチを試みたおふたり。続いての話題はそれぞれのコンテンツを鑑賞したことで、クリエイターとして刺激を受けたポイントへ。
中屋敷
いままさに舞台で生きているキャラクターを観ている私たちからすると、博物館で俯瞰的に見ると「ああ、そうか、歴史的にはこういう評価を得る人物なんだ」という認識に至ります。
今日展示を見て、正直に「本当に事前に見たかった!」と思いました。手探りで舞台の脚本を制作していたところもあるのですが「ここから逆算するとこうなるのか!」というのがわかりやすかったです。
今日展示を見て、正直に「本当に事前に見たかった!」と思いました。手探りで舞台の脚本を制作していたところもあるのですが「ここから逆算するとこうなるのか!」というのがわかりやすかったです。
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渡邉
ありがとうございます。私は逆に「博物館の学芸員」として、中立的、つまり好みによらずに展示を作ることを心掛けました。そのため、思い入れのあるキャラクターであっても、歴史の中ではこういう評価をされるだろうという、主観を除いた視点でテキストを書きました。
一方、舞台を観劇させていただいて感じたのは、それぞれのキャラクターがどのように仲間になったのか、どのようなキャラクターなのかというところまで、主人公であるリアン・マクドールさんがセリフとして物語っていて、物語の主観がリアンさんに置かれている作品だなと。とくに最後の戦いを前に108星の名前を呼びかけるシーンなどが印象的です。
一方で、この博物館はその主人公ですら歴史のなかのひとりである、という位置づけであり、かなり視点が異なります。このまったく異なる「幻想水滸伝」体験ができるという点で、いま「幻想水滸伝」ファンにとって非常に興味深い状況になっていると思います。
一方、舞台を観劇させていただいて感じたのは、それぞれのキャラクターがどのように仲間になったのか、どのようなキャラクターなのかというところまで、主人公であるリアン・マクドールさんがセリフとして物語っていて、物語の主観がリアンさんに置かれている作品だなと。とくに最後の戦いを前に108星の名前を呼びかけるシーンなどが印象的です。
一方で、この博物館はその主人公ですら歴史のなかのひとりである、という位置づけであり、かなり視点が異なります。このまったく異なる「幻想水滸伝」体験ができるという点で、いま「幻想水滸伝」ファンにとって非常に興味深い状況になっていると思います。
中屋敷
これは例えが適切ではないかもしれませんが、朝ドラと大河ドラマのような感じでしょうか。舞台ではマクドール家のぼっちゃんであるリアンの個人史を追い、博物館では個人史の反対側というか、歴史全体を比較対照しながら物語を追っているように感じますね。
渡邉
朝ドラと大河、とてもわかりやすいです(笑)。私が舞台を見てとてもうらやましかったのが、感情がものすごく爆発している点です。各キャラクターの感情、それを受け取るお客様の感情という、この双方の感情の盛り上がりが、静かに歴史を語っている博物館側からすると、とてもうらやましいと感じました……!
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中屋敷
舞台では“誰かに偏りしない”ことを非常に徹底していました。リアンの成長物語ではあるのですが、彼だけが成長するのではなく、リアンが出会った人たちと影響を受けあって人間が成長していくという構造です。
単純に「あなたは良い子だね、良い目をしている、かわいらしいぼっちゃんだね」と言われ続けたら成長できません。もっと厳しいことを言われたり、過酷な運命を背負わされたりすることによって成長していく姿を見せるため、リアン役の岡村(直樹)君を軸に作っていました。渡邉さんの場合でも、どこを軸に作るか、軸足をどう置くかは難しかったのではないでしょうか?
単純に「あなたは良い子だね、良い目をしている、かわいらしいぼっちゃんだね」と言われ続けたら成長できません。もっと厳しいことを言われたり、過酷な運命を背負わされたりすることによって成長していく姿を見せるため、リアン役の岡村(直樹)君を軸に作っていました。渡邉さんの場合でも、どこを軸に作るか、軸足をどう置くかは難しかったのではないでしょうか?
渡邉
そうですね。やはり時間が経った後に個別のできごとがどう物語られるのかという、“歴史とはなにか”をいちばんのテーマに置きました。その個人にとってものすごく大きなできごとでも、時間が経って他者からすれば語られないことになったり、逆にここが語られるようになったりする、というような点です。
たとえば先ほど(前の記事で)ご注目いただいたビクトールさんの展示も、おそらく歴史の視点で見ると、彼は基本的には傭兵であり組織人ではないなので、恐らくあまり公式的な記録が残っていないのかなと。ただし、「傭兵隊の隊長」は明確に務めているので、博物館においてはまず「傭兵隊の隊長」として紹介があるべきと考えました。
ですので「両戦争で非常に活躍したらしいけれども、傭兵なので確かな記録がありません」といった表現になっています。
一方で、赤月帝国(『幻想水滸伝I』)やハイランド王国(『幻想水滸伝II』)といった、本博物館にとっては敵国にあたる国々や人物に対しては、「圧制国家」や「残虐」というネガティブな表現を用いて紹介しているのですが、ゲームを深くプレイしていた方ほど、「果たして本当にそうだろうか?」という感想を持たれたのではと思います。
実はそこが、今回のコンセプトの一番の狙いでもあります。本博物館は「トラン・デュナン史観の学芸員」が作った博物館なので、「ここに描かれている歴史観だけが正解ではない」ということです。
「ジョウイ・アトレイドさんは本当に亡くなったのか?」という感想を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。これは「トラン・デュナン史観」においては「陰謀論」にあたるのかもしれません。
たとえば先ほど(前の記事で)ご注目いただいたビクトールさんの展示も、おそらく歴史の視点で見ると、彼は基本的には傭兵であり組織人ではないなので、恐らくあまり公式的な記録が残っていないのかなと。ただし、「傭兵隊の隊長」は明確に務めているので、博物館においてはまず「傭兵隊の隊長」として紹介があるべきと考えました。
ですので「両戦争で非常に活躍したらしいけれども、傭兵なので確かな記録がありません」といった表現になっています。
一方で、赤月帝国(『幻想水滸伝I』)やハイランド王国(『幻想水滸伝II』)といった、本博物館にとっては敵国にあたる国々や人物に対しては、「圧制国家」や「残虐」というネガティブな表現を用いて紹介しているのですが、ゲームを深くプレイしていた方ほど、「果たして本当にそうだろうか?」という感想を持たれたのではと思います。
実はそこが、今回のコンセプトの一番の狙いでもあります。本博物館は「トラン・デュナン史観の学芸員」が作った博物館なので、「ここに描かれている歴史観だけが正解ではない」ということです。
「ジョウイ・アトレイドさんは本当に亡くなったのか?」という感想を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。これは「トラン・デュナン史観」においては「陰謀論」にあたるのかもしれません。
中屋敷
来場したお客様は「武器が見たい」「この人の大活躍が見たい」「英雄を見たい」という方もいれば、一方で「いやいや文化資料でしょう。チンチロリンやハイ・ヨーの鍋!」「戦争の歴史以外も見たい!」といった様々な視点があるでしょうね。
私は武器の展示をたくさん見られることへの期待が大きかったのですが、「武器だけで歴史を語っていいのか?」「当時の文化的な傾向はどうだったのか?」「料理なども作っていたはずだ」と、いろいろ考えが深まった展示内容で大満足でした。
私は武器の展示をたくさん見られることへの期待が大きかったのですが、「武器だけで歴史を語っていいのか?」「当時の文化的な傾向はどうだったのか?」「料理なども作っていたはずだ」と、いろいろ考えが深まった展示内容で大満足でした。
渡邉
おっしゃる通り、料理やチンチロリン、両作品に登場しているお風呂なども含め、彼らが作り上げていった文化風俗は、「幻想水滸伝」世界の歴史博物館として絶対に展示に入れなければならないと考えました。
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中屋敷
原画展やこうした企画展に行くと、私はいつも大騒ぎしてしまうのですが、今日は走り回る準備をしていたのに、逆に腑に落ちたというか(笑)。いつもは大好きな先生の原画を見て泣くほど感動するのですが、今日は、私がいろいろ妄想していたことや、勝手に自分だけで解釈していたものが、「ああ、これでよかったんだ」というか、「こういう解釈で描くとこうなるんだ」という、非常に腑に落ちる展示でした。
ファンをあおるようなものではなく、ファンの中のさまざまな解釈がさらに広がるような、そういう展示だったと思います。ビクトールも見る人によっては名も無き傭兵かもしれないし、英雄なのかどうかもわからないし、といった、世の中の多様性を感じながら見ていました。
ファンをあおるようなものではなく、ファンの中のさまざまな解釈がさらに広がるような、そういう展示だったと思います。ビクトールも見る人によっては名も無き傭兵かもしれないし、英雄なのかどうかもわからないし、といった、世の中の多様性を感じながら見ていました。
渡邉
そう感じていただけてうれしいです。なので、逆にリアンぼっちゃんをはじめ、各キャラクターの感情をあそこまで輝かしく、豊かに描ける舞台が、私からすると本当に羨ましいです!
単純にいちファンとして、舞台はとても楽しかったです。なかでも、岡村さんが「初舞台・初主演のなか素晴らしい本番をやり遂げた」というストーリーを含めて、“リアンぼっちゃんそのもの”だったことに感動しました。
「ひとりの少年が解放軍リーダーとして歴史のなかの星のひとつとして選ばれ、最後は仲間たちを導く」というストーリーと、岡村さんのやり遂げた初主演って、完全に一致していますよね。「本当に天魁星なんだな」と感じました。
単純にいちファンとして、舞台はとても楽しかったです。なかでも、岡村さんが「初舞台・初主演のなか素晴らしい本番をやり遂げた」というストーリーを含めて、“リアンぼっちゃんそのもの”だったことに感動しました。
「ひとりの少年が解放軍リーダーとして歴史のなかの星のひとつとして選ばれ、最後は仲間たちを導く」というストーリーと、岡村さんのやり遂げた初主演って、完全に一致していますよね。「本当に天魁星なんだな」と感じました。
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中屋敷
本作ではリアン役の岡村君は初舞台で、周りは経験豊富な俳優ばかりなんですよね。
渡邉
まさに、『幻想水滸伝I』と同じ状況じゃないか、と思いました。解放軍に紛れ込んでしまった、輝かしい少年(笑)。
中屋敷
(笑)。そのリアリティというか質感みたいなものが、たぶんお客様にも伝わったのかなと思いました。博物館の質感も、展示のされ方とか、展示の雰囲気がやはり、「本当に博物館に来た」という感覚を与えてくれます。
途中でやっと「あ、これゲームの展示なんだ」と気づくほどで、館内に入った時からにその質感の持つ真実性みたいなものを感じながら、楽しめたなと思います。これはもう1回行きたくなりますね。見終わった後に「あのときってどうなっていたんだろう」という疑問や、リピートしてもう一度確認したいことなどが出てくるんじゃないかなと。
途中でやっと「あ、これゲームの展示なんだ」と気づくほどで、館内に入った時からにその質感の持つ真実性みたいなものを感じながら、楽しめたなと思います。これはもう1回行きたくなりますね。見終わった後に「あのときってどうなっていたんだろう」という疑問や、リピートしてもう一度確認したいことなどが出てくるんじゃないかなと。
渡邉
先ほど言ったように、本博物館はあくまでもトラン・デュナン史観の見解なので、そこには完全なる正解があるわけでもなく。一応私は本博物館の“館長”なのでそれを提示している立場ですけど、それぞれの考えや答えを見つける手掛かりになってほしいと思っています。
これは実際の歴史博物館と同じで、たとえば横須賀(神奈川)の記念館「三笠」や呉(広島)には戦艦大和を展示する「大和ミュージアム」というものがありますが、「日本の目線」でそれぞれの戦艦や戦争にまつわることが展示されていて、今回の展覧会を作るうえでかなり参考にさせていただきました。
「幻想水滸伝」はマルチエンディングの作品で、108を超える人間ドラマが存在し、プレイヤーによって捉え方が千差万別ありますよね。
だから今回は“歴史博物館”というテイストを選んだ次第です。ナンバリングで積み重ねられた歴史があるからこそ、このアプローチを選べたし、それがすごくはまっているのだろうなと感じています。
ちなみにこれは素人質問で恐縮なのですが、岡村さんという初舞台の方を、相当セリフも長いなかで主演に抜擢するにあたり、期待はもちろん不安もあったと思うんです。そのあたりはいかがでしたか?
これは実際の歴史博物館と同じで、たとえば横須賀(神奈川)の記念館「三笠」や呉(広島)には戦艦大和を展示する「大和ミュージアム」というものがありますが、「日本の目線」でそれぞれの戦艦や戦争にまつわることが展示されていて、今回の展覧会を作るうえでかなり参考にさせていただきました。
「幻想水滸伝」はマルチエンディングの作品で、108を超える人間ドラマが存在し、プレイヤーによって捉え方が千差万別ありますよね。
だから今回は“歴史博物館”というテイストを選んだ次第です。ナンバリングで積み重ねられた歴史があるからこそ、このアプローチを選べたし、それがすごくはまっているのだろうなと感じています。
ちなみにこれは素人質問で恐縮なのですが、岡村さんという初舞台の方を、相当セリフも長いなかで主演に抜擢するにあたり、期待はもちろん不安もあったと思うんです。そのあたりはいかがでしたか?
中屋敷
これは私だけではなく、プロデューサーさんの考えもありました。オーディションでとてつもなく素敵な岡村君に会えたのですが、やはり冷静に考えて主演で行くにはいろいろな不安もあり、リスクもあります。
もっと舞台経験のある方を使う可能性もあったかもしれないのですが、プロデューサーとも「『幻想水滸伝I』ってそういう舞台ではないのではないか」「ぼっちゃんってそうではないのではないか」とお話しまして。
私もぼっちゃんを演じるならば、『幻想水滸伝I』の舞台で色をつけられるキャラクター、108星のいろいろな色を浮き出してくれる鏡のような美しさがある俳優さんがいいなと考えていまして。
だから本人にすごい経験があるというよりは、周りのメンバーの魅力を十二分に引き出せるような、そういうまっさらさがいいなと思い、岡村君を選ばせていただいたんです。
もっと舞台経験のある方を使う可能性もあったかもしれないのですが、プロデューサーとも「『幻想水滸伝I』ってそういう舞台ではないのではないか」「ぼっちゃんってそうではないのではないか」とお話しまして。
私もぼっちゃんを演じるならば、『幻想水滸伝I』の舞台で色をつけられるキャラクター、108星のいろいろな色を浮き出してくれる鏡のような美しさがある俳優さんがいいなと考えていまして。
だから本人にすごい経験があるというよりは、周りのメンバーの魅力を十二分に引き出せるような、そういうまっさらさがいいなと思い、岡村君を選ばせていただいたんです。
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その決断はとんでもなく怖かったのですが、岡村君には怖がっている私の本性を見透かされているなと感じて、当初は「この子とやるのは怖いな」とも思っていました。共演する俳優チームもきっと岡村君という存在は、いい意味で怖かったと思いますよ。
自分よりも経験値はないけど、もう未来しかない。これって本当にぼっちゃんそのものですよね。この未来がある若者に自分は何を教えられるんだろうとか。オデッサやグレミオは何を与えられるんだろうみたいな。
しかもゲームではぼっちゃんのセリフって少ないんですよ。となると、しゃべるぼっちゃんのセリフはお客様に届くんだろうか……など、未知のことばかりでした。もうゲームにスイッチを入れるようなワクワク感でしたね。
これって『幻想水滸伝I』をプレイした当時の気持ちと似ていて、1作目ということもあり「このゲームはおもしろいから鉄板でしょ」とプレイする状況ではありませんでした。「大丈夫かな? このゲームはおもしろいのかな?」というドキドキ感と、プレイするうちにおもしろさを見つけていくワクワク感を味わえたんですよね。それに近い感覚だと思います。でも、とても怖かったのは事実です(苦笑)。
渡邉
主演で初舞台というのが信じられないくらい、堂々たる演技ですよね。
中屋敷
でもこれはちょっと伝えたいんですけど、岡村君はミスがないんですよ。すごくミスがなくて、セリフも全部覚えてくる。ただ、演出家の私は「お客さんは覚えたセリフや練習した動きをするリアンを見たいんじゃなくて、その場で本当に生きているリアンを感じたいから、もうちょっと舞台上でも迷ってみて」と伝えたこともありました。
30周年に関わることができて喜びを隠せないふたりが語るプロジェクトへの想い
ここからは30周年という節目の年に、ゲーム以外のメディアで「幻想水滸伝」に携わることになった時の気持ちや、プロジェクトを準備するにあたっての気構えをお互いに語り合う流れに。
中屋敷
この『幻想水滸伝I』というゲームを、非常に能力値の高い俳優達と稽古する作業がもし叶うのであれば、必ずお稽古が楽しくなると確信していました。単に遊んでいるわけではなく、皆の演技や感情が必ず盛り上がるというのはほぼ約束されている作品だと思っていたので、オファーされた時に「幻想水滸伝」の文字だけでやりたいと思って返信したぐらいでした。
ゲームをプレイしていたときに受けた衝撃、「思い通りにならない」「ハッピーエンドってそう簡単にならないんだ」といった衝撃を、俳優さんたちが演じることによって、そこに納得というか、さまざまな人間の息吹みたいなものが感じられるんじゃないかなと思っていました。
ゲームをプレイしていたときに受けた衝撃、「思い通りにならない」「ハッピーエンドってそう簡単にならないんだ」といった衝撃を、俳優さんたちが演じることによって、そこに納得というか、さまざまな人間の息吹みたいなものが感じられるんじゃないかなと思っていました。
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なので稽古の初日にも、「みなさんは好き放題に演じてください。私がなんとかします」と伝えたんです。全体の演出は私に任せてもらい、「パーンはパーンとして、フリックはフリックとして、もう自分が演じる人間に集中してください」とだけ伝えました。
そうすると結果的に、感情がぶつかり合ってしまうところや、感情がすれ違ったりする部分がすべて『幻想水滸伝I』の世界観につながっていくんじゃないかなと。みんなが一方向を向いていくわけではなく、キャラクターそれぞれに目的があるんですけど、運命に導かれて108星のひとりになる、というところを舞台上で表現できるんじゃないかと考えました。
30年の歴史があるシリーズの原点『幻想水滸伝I』を、舞台だからこそできるアプローチがあると信じて作ってきましたね。
渡邉
たしかに舞台を観劇した側としても、感情のぶつかり合いみたいなのは非常に感じられました。キャラクターが多い=人格がたくさんあるので、当然感情がぶつかり合うシーンが多いでしょうし。
中屋敷
じつは一度稽古で、恋話をしたんですよ。一面的に「この人はこの人のことが好き」という内容でなく、「なぜソニアとテオなのか?」「ヒックスとテンガアールはどうなのか?」「どこが好きなんだ?」といったことを、理路整然と説明しなくてもいいので語り合いました。
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「オデッサはフリックのどこが好き?」とかもですね。あとは「ビクトールはどこが信頼されているんだろう」という部分も語らいましたね。ビクトールってみんなからは何かダメなやつだと思われているけど、うっすらと信頼があってここぞというときには頼れるんですが、そこに至る感情に近づきたくて(笑)。
また「俺はお前のことを信用している」ってテッドはリアンに言っていますけど、あれはちょっと虚しいんじゃないかとか。そこに悲しさとか、矛盾が生まれるんじゃないかみたいな話を、俳優さんたちとだいぶブレスト(ブレインストーミング)していました。
渡邉
私は普段から「IPものの展覧会」のプロデューサー兼制作を仕事にしていますが、「IPものの展覧会」はただ単にキャラクターのパネルや制作資料を飾るだけの、“主題”といいますか、メッセージ性がないものが多い印象を受けています。
そもそも、「題材となっている作品」自体にメッセージがあるので、それでも成立してしまうのですが、これは同じ作り手側からすると、「ラクをしているなぁ」とも感じます。“この作品を、展覧会というメディアで、どのように伝えるか?”という視点が無くなってしまっていて、「パネルを飾るだけの作業」になっていませんか? と。
一方、「幻想水滸伝」という作品は細部までこだわり抜かれた、作り手の熱意と心意気が伝わってくる名作です。この作品の展覧会をやらせていただくときに、「ただパネルを飾る」というやり方は、絶対にできないと思いました。自分が「幻想水滸伝」から学んだことを表現し恩返ししなければならないなと強く思っていたんですよね。
そもそも、「題材となっている作品」自体にメッセージがあるので、それでも成立してしまうのですが、これは同じ作り手側からすると、「ラクをしているなぁ」とも感じます。“この作品を、展覧会というメディアで、どのように伝えるか?”という視点が無くなってしまっていて、「パネルを飾るだけの作業」になっていませんか? と。
一方、「幻想水滸伝」という作品は細部までこだわり抜かれた、作り手の熱意と心意気が伝わってくる名作です。この作品の展覧会をやらせていただくときに、「ただパネルを飾る」というやり方は、絶対にできないと思いました。自分が「幻想水滸伝」から学んだことを表現し恩返ししなければならないなと強く思っていたんですよね。
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そこで、「幻想水滸伝」の魅力を多角的に物語ることのできる「歴史博物館」を作ろうと考えました。また「幻想水滸伝」のお客様であれば、「赤月帝国側、ハイランド王国側は悪だ!」と歴史博物館のパネルに書かれていても、それは勝者(プレイヤー)側からの目線であり、「ここに書かれていることって事実なのかな?」と考える体験まで楽しんでいただけると信じていました。
「そういうことを、私たちファンは「幻想水滸伝」から学びましたよね?」と、博物館と来場者が呼応できる場になったと思っています。
中屋敷
先ほど「主題がない展示」とおっしゃっていましたが、この展示を見ていて、自分が主題になったような感覚でした。
渡邉
その言葉がいちばんうれしいです! 歴史の中では「自分の目線」が頼りになり、その目線が変化していくのが「幻想水滸伝」という作品のテーマのひとつでもある「人生とは何か」であると思います。
中屋敷
異世界に入ってきたという感覚ではないんですよ。
渡邉
じつは本当にそれがテーマで、「あなたの「幻想水滸伝」って何ですか?」という問いかけです。歴史博物館ってそういうものですよね。歴史の中に自分もいるので、自分の視点を持って幻想博物館を楽しんでほしいと思っています。
中屋敷
そういえば、館内を回って出たあとにふと「バルバロッサ様の栄光の歴史は一行も書かれていなかったな」と思ったんです。
渡邉
そう、そういうことなんです。まさに!
中屋敷
もし赤月帝国をテーマにした展示展があれば、しっかり偉業が語られるのかもしれませんが、勝者側の目線だとあんまり良くなかった存在になっていた印象です。
渡邉
まさにそうなんです。「圧制国家であった」と斬っているので、赤月帝国側の人間が見たらモヤモヤする展示でしょう。
中屋敷
ハンゾウさんなどは「本当のバルバロッサ様はこんなに素晴らしい方なのに!」と、激怒しているであろうと考えると、ちょっと悔しくも思いますね。
渡邉
「もっといい人だったんだ」みたいな。そういう反応がまさにうれしいです!(笑)
中屋敷
ちなみに個人的意見ですが、地理とか地名とかマニアックな部分にフォーカスした展示もやればおもしろそうだと思いました。
渡邉
たしかにありですね。
中屋敷
たとえばグレッグミンスターやノースウィンドゥの村のような地名や土地の歴史を研究した資料も読みたいですね。
渡邉
わかります。余談ですが、グレッグミンスターって音の響きがめちゃくちゃいいですよね。グレッグミンスターって一度は行ってみたい場所なんです(笑)。
中屋敷
そう考えると、「幻想水滸伝」は掘り下げられそうなテーマがまだありますよね(笑)
「本気で大学の卒業論文のように書いた」と語るほど高い熱量で挑んだ博物館と、リピートする楽しみや喜びが詰まった舞台
プロジェクトを進めるにあたり、さまざまな苦労を重ねたと各所のインタビューで答えていたおふたり。あらためて思い出に残るエピソードを披露してもらいました。
渡邉
展示物のテキストに関しては本気で“大学の卒業論文”の如く書きまして。いままでの仕事のなかでいちばん文字を書いたのがこの博物館です(笑)。
![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/dengeki/60993/adb3a17f7bcac837ecc1fe2bc630a5473.jpg?x=1280)
作るなら徹底してやりたくて、相当骨は折りましたね。移動中の電車とかでも「赤月帝国の圧政に屈しながら……」とか文章を書いていて、ここはどこだ? みたいな感覚に陥りました。そのときは中央線のなかだったんですが(笑)。
中屋敷
舞台は“キャラクターをレッテル張りしないようにする”ということ、いちばんに考えたところでしょうか。とくにアニメや漫画と違ってゲームのキャラクターなので、愛着というものがきっとプレイヤーごとに違うと思いました。
そこに対して応えるためにも、自分だけの視点じゃなくて、俳優さんたちにもいろいろリサーチしました。当然KONAMIさんにも監修していただいて、最終的には意見をまとめての人物像ですが、まとめすぎて彼らの線が単純化されたり、持ち味のカラーが単調になったりするのもよくないので、そこは意識したポイントです。
そこに対して応えるためにも、自分だけの視点じゃなくて、俳優さんたちにもいろいろリサーチしました。当然KONAMIさんにも監修していただいて、最終的には意見をまとめての人物像ですが、まとめすぎて彼らの線が単純化されたり、持ち味のカラーが単調になったりするのもよくないので、そこは意識したポイントです。
渡邉
今回、監修をご担当いただいた崎山(高博氏。「幻想水滸伝」シリーズIP監修)さんは、「幻想博物館」の名誉顧問みたいな感じで、まるで私がゼミ生で崎山さんが教授みたいな関係でした(笑)。
たとえば博物館の展示内では、幾人かのキャラクターは死亡したことになっているんです。これは「トラン・デュナン各国の正史としては、このキャラクターは死んでいることになっていると思います」といったフィードバックを崎山さんから頂いた内容が反映されているもので、本当に歴史研究のゼミみたいでした。
今回かなりリアリティを持って臨めたのは、崎山さんが監修というより、このように先生のような感じで対応いただけたからですね。「なるほど、確かにそうだな」といった指摘がとにかく多くて、そのリアルな肌触りもたぶん“博物館らしさ”に反映されていると思います。
最後は同じ脚本でも俳優の演技により、公演ごとに見える景色が変わる舞台について、中屋敷氏がその魅力をアピール。「幻想水滸伝」への“愛”をぶつけ合ったふたりのクリエイターの対談は締めくくられました。
たとえば博物館の展示内では、幾人かのキャラクターは死亡したことになっているんです。これは「トラン・デュナン各国の正史としては、このキャラクターは死んでいることになっていると思います」といったフィードバックを崎山さんから頂いた内容が反映されているもので、本当に歴史研究のゼミみたいでした。
今回かなりリアリティを持って臨めたのは、崎山さんが監修というより、このように先生のような感じで対応いただけたからですね。「なるほど、確かにそうだな」といった指摘がとにかく多くて、そのリアルな肌触りもたぶん“博物館らしさ”に反映されていると思います。
最後は同じ脚本でも俳優の演技により、公演ごとに見える景色が変わる舞台について、中屋敷氏がその魅力をアピール。「幻想水滸伝」への“愛”をぶつけ合ったふたりのクリエイターの対談は締めくくられました。
中屋敷
舞台では俳優さんたちが毎回“生き直して”いるので、毎回の空気、その場のお客様のムードなどで、俳優さんたちの感情のギアみたいなものが変わっていくところも見どころです。
![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/dengeki/60993/a85b6f89b41cae26786ac72365fff771b.jpg?x=1280)
また、舞台ではセリフをしゃべっているキャラクターを見てほしいのですが、できればリピートすることで、周りのメンバーたちのリアクションも注目してほしいなと。
テオ様とリアンの一騎打ちのシーンは、じつはテオ様の一騎打ちを見ているパーンとクレオの顔がとてもいいんですよ(笑)。当然みなさんはリアンたちに注目していると思いますが、ふたりがすごい顔で見ているので注目してみてください。
一騎打ちのシーンはふたり以外も退場しないほうが空気がおもしろくなると考えたんです。戦いになった瞬間にクレオはひざまずいて、それを見てパーンが「誰も止めないのか」という感じでいっしょにひざまずくという。そんな細かいやり取りがあります。
また、ルックの挙動にも注目してもらえると面白いと思います。何と言いますか……ほかのキャラクターと違って、ルックは「自分の主はレックナート様」みたいな感じで、ちょっと自分勝手なんですよね(笑)。みんなが立っているときに、1人だけちゃっかり座っているなんてこともあります。
![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/dengeki/60993/a5e872eb07e5a05bfe2e4521757f46f68.jpg?x=1280)
語り出したら止まらないんですけど、ぜひそういう細かいところを見てほしいですね。ちなみに配信にはカメラのスイッチングがあり、全景配信ではちょっと遠目ですが、それでも俳優さんの表情が見えるので、「ちゃんとここでリアクションをしているんだ」というのがわかるはずです。
シリーズ30周年記念 幻想水滸伝I&II展 ~幻想博物館~」開催概要
会期:2025年12月6日~ 2026年1月12日
※計38日間で、開催期間中は無休。前期と後期で入れ換えあり(前期12月6日~ 12月24日、後期12月25日~1月12日)
※計38日間で、開催期間中は無休。前期と後期で入れ換えあり(前期12月6日~ 12月24日、後期12月25日~1月12日)
舞台「幻想水滸伝-門の紋章戦争篇-」公演概要
あらすじ(公式サイトより)
生と死を司る紋章“ソウルイーター”を巡る運命の戦い。
後世において、人はこの物語を“門の紋章戦争”と呼ぶ…。
太陽暦 446 年。トラン湖周辺を支配する大国「赤月帝国」で内乱 “継承戦争” が勃発。
内乱は当初、正統な帝位継承者であるバルバロッサ・ルーグナーが劣勢だったが、
テオ・マクドールら帝国六将軍と軍師レオン・シルバーバーグの活躍で逆転勝利。
帝位の座を取り戻すことに成功する。
さらにその翌年には、北方の外敵であった都市同盟勢力を撃退。
バルバロッサは人々に“黄金皇帝”と崇められ、称えられた。
だがそれから数年後…。
皇帝バルバロッサは宮廷魔術師ウィンディに魅了され、政治を顧みなくなってしまう。
その結果、軍部や宮廷内で汚職が氾濫し、赤月帝国は急激に崩壊の一途をたどっていた。
そんなある日、ひとりの少年が皇帝との初めての謁見を迎えていた。
かの大将軍テオ・マクドールの息子である。
その瞳は未来への希望に満ち溢れていたのだが…。
彼がこの時代を変える礎になることを、まだ誰も知らない…。
◆公演タイトル:舞台「幻想水滸伝-門の紋章戦争篇-」
◆公演日程:
[東京公演] 12月6日(土)~12月14日(日)
シアターH(東京都品川区勝島1-6-29)
[京都公演] 12月18日(木)~12月21日(日)
京都劇場(京都市下京区烏丸通塩小路下ル 京都駅ビル内)
◆原作:「幻想水滸伝」(KONAMI)
◆脚本・演出:中屋敷法仁
◆キャスト
リアン・マクドール(ぼっちゃん)役:岡村直樹
グレミオ役:和田琢磨
テッド役:長江崚行
フリック役:山田ジェームス武
ビクトール役:磯貝龍乎
パーン役:山沖勇輝
クレオ役:桜樹楓
オデッサ・シルバーバーグ役:桜井しおり
マッシュ役:伊勢大貴
カスミ役:山内優花
ルック役:日暮誠志朗
テオ・マクドール役:高木トモユキ
ウィンディ役:大湖せしる
バルバロッサ・ルーグナー役:鍛治直人
アンサンブル:加藤ひろたか、とよだ恭兵、蓮井佑麻、白崎誠也、結木 雅
◆制作:ゴーチ・ブラザーズ
◆協力:株式会社コナミデジタルエンタテインメント
◆企画制作・プロデュース:4cu(Frontier Works Inc.)
◆主催:舞台「幻想水滸伝」製作委員会
配信情報
一部公演が、シアターコンプレックスTOWNで独占見逃し配信されています。気になる方は、ぜひサイトをチェックしてみてください。
■配信プラットフォーム:シアターコンプレックスTOWN
配信公演
12月13日(土)17:00<東京公演>
12月14日(日)12:00<東京千秋楽公演>
12月21日(日)12:00<京都公演>
12月21日(日)17:00<京都千秋楽公演>
ライブ配信チケット詳細
《12月13日(土)17:00<東京公演> ※全景配信》
・配信チケット価格:3,000円/税込 (アプリ購入価格:3,700円/税込)
・購入特典:デジタルブロマイド
※キャラクター:リアン・マクドール(ぼっちゃん)/グレミオ/テッド
【チケット販売期限】12月27日(土)21:00まで
【見逃し配信視聴期限】12月27日(土)23:59まで
《12月14日(日)12:00<東京千秋楽公演> ※スイッチング配信》
・配信チケット価格:3,800円/税込 (アプリ購入価格:5,480円/税込)
・購入特典:デジタルブロマイド
※キャラクター:フリック/ビクトール/パーン/クレオ
【チケット販売期限】12月28日(日)21:00まで
【見逃し配信視聴期限】12月28日(日)23:59まで
《12月21日(日)12:00<京都公演> ※全景配信》
・配信チケット価格:3,000円/税込 (アプリ購入価格:3,700円/税込)
・購入特典:デジタルブロマイド
※キャラクター:オデッサ・シルバーバーグ/マッシュ/カスミ/ルック
【チケット販売期限】2026年1月4日(日)21:00まで
【見逃し配信視聴期限】2026年1月4日(日)23:59まで
《12月21日(日)17:00<京都千秋楽公演> ※スイッチング配信》
・配信チケット価格:3,800円/税込 (アプリ購入価格:5,480円/税込)
・購入特典:デジタルブロマイド
※キャラクター:テオ・マクドール/ウィンディ/バルバロッサ・ルーグナー
【チケット販売期限】2026年1月4日(日)21:00まで
【見逃し配信視聴期限】2026年1月4日(日)23:59まで