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ファミコンやパソコンカルチャーは、どこから来てどのように育っていったのか?【連載コラム:おもちゃとゲームの100年史】

文:佐藤辰男

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連載コラム“おもちゃとゲームの100年史 創業者たちのエウレカと創業の地と時の謎”第14回

5-2 シリコンバレーの誕生

 前回のコラムでは、ファミコンが登場する直前の日本のおもちゃ業界の様子について書いた。では、そんなファミコンやパソコンカルチャーは、どこから来てどのように育っていったのか。シリコンバレーの歴史を紐解けば、その答えが見つかるに違いない、と思う。というわけで、舞台をアメリカのカルフォルニアに移す。

 TVゲームの元祖とも言われるアタリ社の栄光と失敗を描いた『「アタリ社の失敗」を読む』(スコット・コーエン、ダイヤモンド社、1985年)は、同社創業の地シリコンバレーを次のように描写している。

 「シリコンバレーと呼ばれる地域は、パロ・アルト市にあるビル・ヒューレットのガレージから始まる。ここは、彼とデイブ・パッカードというスタンフォード大学の同窓生が、エレクトロニクス産業の基礎を築いたかの有名なヒューレット・パッカードを始めた場所だ。そこから南へ下ること約20マイルのサンノゼ市まで、間に点在する12~3の街をひっくるめてシリコンバレーと呼んでいる。チップ製造業者やそれに関連した企業が毎日のように生まれ、バレーを半導体製造における世界の中心地にした」

 シリコンバレーの起源を、ヒューレット・パッカード創業者の有名な自宅ガレージに求めるのは間違いではないが、シリコンバレーという産業クラスターの形成にはもっと複雑なファクターが絡んでくる。

 起業家の存在だけでなく、起業家に機会を与えた大学と、大学が誘致した企業の存在、資金を提供した投資家、あるいは軍の存在、そして起業を容易にしたカリフォルニア州法とカルフォルニア独特のカルチャーの存在、などが必要だったと説くのが『ベンチャーキャピタル全史』(トム・ニコラス、新潮社、2022年)だ。

 本書はまず、シリコンバレーの形成に最も貢献した人物として、スタンフォード大学のフレデリック・ターマン工学部教授(1941年から工学部長、1955年から副学長)の名を挙げている。

 1930年代、そこには肥沃(ひよく)な土地いっぱいに果樹園が広がっていた。サンタ・クララ・バレーと呼ばれたその土地のど真ん中に、スタンフォード大学があった。ターマン教授は、学生が地元に就職先がないために東部に去って行くことが悩みの種で、学生に地元で起業するよう推奨した。

 同大学のウィリアム・ヒューレットとデイヴィッド・パッカードが、1932年に自宅ガレージで会社を創業(ヒューレット・パッカードとしての正式スタートは1939年)したのも教授の勧めだった。現代におけるハイテクベンチャーの先駆けと言われるヴァリアン・アソシエイツを、この地で創業するヴァリアン兄弟も、ターマンの助力を得ていた。特許料を折半するという条件で大学の設備を使い、指導教授とともにレーダー技術の基礎となる共同研究を始めたのだ。

 第2次世界大戦後、ターマンは20年計画の大学改革に取り組む。大学と民間産業との物理的な近さを重視した産学連携策だ。スタンフォード大学の広大な敷地の一部に貸しオフィスを建設し、そこから賃料収入を得るとともに特許料も共有することで、起業を目指す者と大学と、そして大企業とのWin-Winの関係を目指した。

 1953年にできたスタンフォード・インダストリアル・パークは、世界最初のテクノロジー企業向けオフィス・パークだった。ここに、ターマンが育てたヴァリアン・アソシエイツが入居し、ヒューレット・パッカードも続いたのだった。

 1961年には入居企業は25社を超え、従業員は1万1千人を数えたという。やがてゼネラル・エレクトリック、イーストマン・コダック、ロッキード、ゼロックスなど東海岸の名門企業も支社を構えるようになった。これらの従業員に、ターマンは大学院の講義に出席することを認めるなど、さまざまな産学共同プログラムを用意した。

 起業家育成の精神はその後も受け継がれ1975年には学内に“ホームブリュー(自家製)・コンピュータ・クラブ”が創設され、スティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックといった若手の技術者や起業家が、自分たちの最新の技術的発明を披露しあったり、アイデアを共有したりするたまり場となった。

 「こうした教育機関の影響によって、資本、専門知識、アイデアがシリコンバレーに集中し、経済活動の密集地帯(クラスター)が生まれ、スタートアップ企業を起点とする、有り余るほどのビジネス機会が生まれた。ベンチャーキャピタリストがいったんここに拠点を置き始めると、その勢いは自己増殖的に強まって行った」

 と『ベンチャーキャピタル全史』は続け、起業家を支援した大学に次いで、資金提供者としてのベンチャーキャピタルの話に移っていく。そこで、ベンチャーキャピタル史を飾る3人のキーパーソンが紹介される。

 そのキーパーソン3人については、次回のコラムで触れていこう。
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