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コイン式ビデオゲーム『ポン』を生み出したアタリから“エウレカ!”の連鎖は始まった【連載コラム:おもちゃとゲームの100年史】

文:佐藤辰男

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連載コラム“おもちゃとゲームの100年史 創業者たちのエウレカと創業の地と時の謎”第15回

 今回のコラムでは、ベンチャーキャピタル史を飾る3人のキーパーソンについて触れるところから始めよう。シリコンバレーに集まった起業家たちは、彼らがいなかったらその業績を残せていなかったかもしれない。

 キーとなったのはアーサー・ロック(1961年設立のデイビス&ロック共同創業者)、トム・パーキンス(1972年設立のクライナー・パーキンス共同創業者)、そしてドン・バレンタイン(1972年設立のセコイア・キャピタル創業者)の3人で、『ベンチャーキャピタル全史』(トム・ニコラス、新潮社、2022年)には

 「3人とも東海岸で生まれ育ち、教育も受けたが、チャンスの多かった西海岸へと移り、インテル、ジェネンテック、シスコシステムズといった20世紀で最も重要な企業への投資のいくつかを担い、“ヒット”とロングテール投資に基づくベンチャーキャピタルの成功モデルを立て続けに実現し、膨大(ぼうだい)なリターンを手にした」

 とある。ロックは、ショックレー半導体研究所に見切りをつけて新しい雇い主を探していた“8人の反逆者”に新会社の設立を提案し、彼らの会社フェアチャイルド・セミコンダクター創業(1957年)を手助けした。その8人のうちロバート・ノイスとゴードン・ムーアが共同創業者となってインテルを創業(1968年)するが、ロックはこれも支援して同社の会長を務めることになった。『ベンチャーキャピタル全史』によると

 「1968年と69年に設立された半導体メーカーの24社のうち、13社がシリコンバレーの会社である。しかも、そのうち8社の創業者はフェアチャイルド・セミコンダクター出身だ・・・新製品ができるとフェアチャイルドの小規模な開発チームが独立して別の会社を立ち上げる、というのが典型的なシナリオだった」

 シリコンバレーで、インテルをはじめとして、(もっぱら元フェアチャイルド組によって)次々に起業が連鎖する様子を同書は上のように記述しているが、そうしたことが起こる要因は、シリコンバレー独特のカルチャーにあって、それは起業する人々の背中を押すものだった。本書は次のような 『現代の二都物語 なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだか』(日経BP社、2009年)の著者であるアナリー・サクセニアンの言葉を引用している。

 「シリコンバレーには、リスクを奨励し、失敗を受け入れるカルチャーがあった・・・新興企業の可能性を制限するような、年齢や地位、社会的立場による境界はまったくなかった。・・・実践教育を重んじる大学は、温暖な気候に恵まれ、太陽の光がさんさんと輝くなだらかな丘とともに、テクノロジーに関心のある若者たちの心をつかんだ。東海岸の残酷なほどの寒い冬と、堅苦しい秩序に惹かれるものは少なかった」

 Apple創業者の名前を冠した伝記『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン、講談社、2011年)は、ジョブズの友だちだったU2でボーカルをつとめたボノの、西海岸カルチャーに関する次のような発言を紹介している。

 「21世紀を発明した人々が、スティーブのように、サンダル履きでマリファナを吸う西海岸のヒッピーだったのは、彼らが世間と違う見方をする人々だからだ。東海岸や英国、ドイツ、日本などのように階級を重んじる社会では、他人と違う見方をするのは難しい。まだ存在しない世界を思い描くには、60年代に生まれた無政府的な考え方が最高だったんだ」

 そのような文化的背景を生み出す根本に、カリフォルニアの州法があったことは特記すべきだ。カリフォルニア州は1872年に企業が制限的な労働契約(雇用契約が終了した後の一定期間、競合会社に移ることを禁じた競合禁止義務など)を通常無効であるとしている。つまり、従業員がサラリーマンを辞めて自分の会社を立ち上げたいと考えたとしても、そこになんの制約も設けさせない仕組みを作った。その州法と文化的背景がベンチャーキャピタルの活躍の場を提供したわけだ。

 シリコンバレーの主役は、インテルのような半導体企業から、アドビやシスコシステムズのようなソフトウェア企業、グーグル(アルファベット)やフェイスブック(メタ)のようなインターネット企業など、多様化していったが、カルチャーとしては、その結節点にノーラン・ブッシュネルとスティーブ・ジョブズがいたような気がする。

 シリコンバレーとアメリカ東部のカルチャーの違いについて、強烈な印象を残したのが、映画『ソーシャル・ネットワーク』だった。映画は、フェイスブックを立ち上げたマーク・ザッカーバーグの、創業前後の裏切りと諍(いさか)いをあからさまに描いて話題となった。

 そこにはふたつのカルチャーの中のザッカーバーグの対比が、ふたつの側面から鮮やかに映像化されていた。

 ひとつは“東海岸の残酷なほどの寒い冬と、堅苦しい秩序”の中の彼――ハーバード大学時代の裏切りと孤立する様子が描き出されている。

 もうひとつは“リスクを奨励し、失敗を受け入れるカルチャー”の中の彼――シリコンバレーでベンチャーキャピタルの資金を得て創業に漕ぎつける様子だ。こちらでは奔放な友人(ナップスターのショーン・パーカー)の誘導もあって東部の友だちを切り捨てる様子も描かれている。

5-3 アタリとエウレカの連鎖

 アタリを創業したノーラン・ブッシュネルは、“リスクを奨励し、失敗を受け入れるカルチャー”を持つシリコンバレーが産んだ強烈な個性の起業家だ。1972年に彼がアタリを設立し、コイン式ビデオゲームの『ポン』を同年11月に発売したのが、そもそもの始まりだった。

 そしてスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが、世界で最初のパーソナルコンピュータを発明できたのも、アタリとの出会いがあったから、と言っても間違いではない。あるいは、ICチップ、マイクロプロセッサーが、2人をTVゲームとパーソナルコンピュータという新しい概念に導いた、と言うべきかもしれない。

 ここから少しの間は、スティーブ・ラッセル(世界初のビデオゲーム製作者)、ノーラン・ブッシュネル、ラルフ・ベア(TVを使ったゲームの発明者。諸説あり)、任天堂の山内溥、スティーブ・ジョブズ、ナムコの中村雅哉といった人々のエウレカ(われ発見せり!)が連鎖していく様を追ってみたい。

 『「アタリ社の失敗」を読む』(スコット・コーエン、ダイヤモンド社、1985年)と、『新・電子立国 第4巻 ビデオゲーム・巨富の攻防』(相田洋/大墻敦、NHK出版、1997年)より、ブッシュネルが『ポン』を思いつくところから始めよう。

 ノーラン・ブッシュネルは1943年に生まれ、子どものころから家電製品を修理して金を稼ぐような子だった。成績がよく、ユタ州立大学に進んだ。高校から夏場は、アルバイトでソルトレークシティのラグーン遊園地で働いた。そこで彼は遊園地に設置されたすべてのゲームマシーンに通暁(つうぎょう)し、大学卒業時には100人もの若い係員を使ってゲーム機を管理する役を担っていた。

 大学の研究室にはDEC社製ミニコンピュータ『PDP-1』があって、これで『スぺースウォー!』というPCゲームが遊べた。ブッシュネルはこのゲームに夢中になった。MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生だったスティーブ・ラッセルが、1962年に開発したものだった。もしこのゲームを遊園地で誰もが遊べるようになればきっと儲かるだろうと思ったのが、ゲーム開発に手を染めるきっかけとなった。


 ブッシュネルが夢中になって遊んだという『スぺースウォー!』がどんなゲームだったかを『新・電子立国4』は詳しく描写している。コンピュータ本体は、ミニコンピュータと名前はかわいいが、業務用冷蔵庫ぐらいでかくて、データの出力を見るモニターは大きめの手鏡ぐらいのまんまるの白黒のブラウン管だ。

 ゲームは対戦型で、星を背景にした宇宙空間に、2機のスペースシップ(とんがり帽子のようなドット絵)が対峙している。2人のプレイヤーがそれぞれの自機をコントロールし、追いつ追われつビームを打ち合う。操作は4つのトグルスイッチをON・OFFすることで、自機を左右に回転させたり、移動させたり、ビームを発射し敵機に命中させるという内容。プログラムの起動は、なんと穴あき紙テープだった。

 当時はコンピュータプログラムに著作権は認められていなかったから、誰もがコピーできたし、『PDP-1』のあるところにはほぼこの穴あき紙テープのゲームプログラムがあったという。作者のスティーブ・ラッセルも本書でプログラムは誰にでもコピーさせたとおおらかに語っている。

 そんな『スぺースウォー!』をひな型に、ブッシュネルは仕事の余暇に『コンピュータースペース』を開発。これを携え別の会社に移籍し、コイン式ゲーム機として発売した。これが、世界初のアーケードゲームだ。

 『コンピュータースペース』のゲーム内容は『スぺースウォー!』そのもの、つまりパクリだ。『スぺースウォー!』誕生から10年経って、マイクロチップが開発されコンピュータがいくらか安価に自作できるようになって、これをコイン式ゲームとして発売することができたわけだが、さほど売れなかったようだ。

 『新・電子立国4』の著者はアトランタのゲーム博物館でこれを実際遊んでみたが、4つのボタンを両手でコントロールしなければならず、とても難しかったと告白している。きっと当たり判定にも問題があったのだろう。
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