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日本におけるトレーディングカードゲームの流れを紐解いてみた【佐藤辰男の連載コラム:おもちゃとゲームの100年史】

文:電撃オンライン

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連載コラム“おもちゃとゲームの100年史 創業者たちのエウレカと創業の地と時の謎”第37回

 アメリカでも日本でも、1990年代にテーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)が下火となると、入れ替わるようにTCGが大ブームになるが、その発端となったのが、1993年に発売されたウィザーズ・オブ・ザ・コーストの『マジック:ザ・ギャザリング』だった。

 TRPGの世界観を保持しながら2人から遊べるという手軽さ、伝統的にアメリカ人の大好きな(日本人も大好きな)カードコレクション要素、なんと言っても多数のカードのなかからデッキを組んで対戦するという斬新な発想から、アメリカではあっという間に(アナログの)ゲーム市場を席巻してしまった。

 第1章でも少し触れたが、ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社が日本に上陸するにあたって、販売代理店を探しているというので角川書店とメディアワークス連合でその翻訳出版権を取りに行くのだが、ライバルのホビージャパンに敗れてしまうという苦い思い出がぼくにはある。

 角川から分裂直後で、設立間もないメディアワークスで新たに準備していたRPG雑誌『電撃アドベンチャー』(角川時代の『コンプRPG』の後継のつもりだった)の目玉にしたいという野望がぼくにはあった。

 ぼくたちの連合のプレゼンテーションではカードの絵柄など日本向けにアレンジしたらどうかという内容だったが、版権元のウィザーズ側の意向は、絵柄どころかテキストの翻訳以外まったく改変を許さず……などというもので、その条件を受け入れたホビージャパンが権利を獲得した。

 大前提となるそういう条件を示された記憶がぼくにはないので、もしかしたらハナからわが連合は当て馬だったのではと、恨んだ記憶があるが、いまとなってはおぼろげな記憶だ。

 おぼろげついでに言えば創業者のピーター・アドキソンにも東京で会った。シアトルにある航空機会社のボーイングのエンジニアで、ゲームが大好きだったから辞めて仲間と会社を作ったということだった。本人はやせた物静かな少年の面影のある人だったが、一緒に来日した取り巻きは、やはりボーイング出身のタフネゴシエータだった記憶がある。

 ぼくたちとしては、この監修と翻訳を『ロードス島戦記』で組んだ安田均とグループSNEにお願いするつもりで、最初から行動をともにしていたのだが、権利を取り逃してがっかりした角川歴彦に「(グループ)SNEがオリジナルTCGを作りますよ」と進言したと、安田均は著書の『安田均のゲーム紀行1950-2020』(新紀元社、2020年)』で触れている。そこから富士見書房の『モンスター・コレクション』(安田均とグループSNE、富士見ドラゴンブック、1986年)をもとにTCGを開発することになった。

 さて、権利を取得したホビージャパンが『マジック:ザ・ギャザリング』日本語版を1996年4月に発売すると、たちまち売り切れ続出の人気を得る。その後発売された『ポケモンカードゲーム』(ポケモン、1996年10月)も『遊☆戯☆王 オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ』(コナミデジタルエンタテインメント、1999年)なども、どれもが『マジック』の影響から生まれたもので、日本でもTCGは大ブームを迎えることになった。いずれもTVゲーム、アニメ、マンガとさまざまなメディア展開をされるグローバルなIP資源として成長し、いまにつながっている。

 グループSNEが開発した『モンスター・コレクションTCG』は1997年9月に富士見書房から発売され、これも爆発的にヒットし、ゲームだけでなくマンガ化、小説化、アニメ化と華々しいメディアミックスが展開された。

 『デュエル・マスターズ』に話を戻そう。

 『マジック:ザ・ギャザリング』日本語版を低年齢層へ普及させるために、ウィザーズは小学館の幼児向けホビー雑誌『コロコロコミック』に1999年5月号から『デュエル・マスターズ』と題するマンガ連載を始める。内容は『マジック』の対戦(デュエル)に夢中になる少年の物語だ。企画ものとして『マジック』の遊びかたやカードの紹介も掲載されるようになった。このころの『コロコロコミック』と言えば『ポケモンカードゲーム』と任天堂から発売されたゲームボーイ用RPG『ポケットモンスター金・銀』で表紙は埋まっていて、そこに割って入ろうという作戦だった。

 この企画は座組が大掛かりで、三井物産(子会社のCS放送局キッズステーションが主体)とウィザーズ、小学館とタカラの共同事業だった。このころクールジャパンの合言葉のもとに大手商社がアニメ事業に参画していた。この時代背景は、その後タカラ、トミーにも、おもちゃとマンガとアニメというメディアミックスの機会を提供することになった。バンダイのキャラクター玩具開発の独壇場だったものが、両社の定番商品育成にもその手法が使われるようになった先駆けとしても覚えておいてほしい。

 連載の当初、マンガの主人公たちは『マジック:ザ・ギャザリング』をプレイしていたが、3年後の2002年には、『デュエル・マスターズ』という、マンガのタイトルを冠した(もちろん『マジック』を基にした)TCGを、タカラから発売する、というふうに発展した。

 このTCGの発売は2002年5月で、同時期にTVアニメの放映が開始されている。日米の“大人たち”によって周到に仕組まれた座組のなかで、TCG『デュエル・マスターズ』が大人気となった。2005年以降は『マジック』自体も日本の販売権がタカラに移行した。1999年にはウィザーズはすでに米国ハズブロの子会社になっており、そのハズブロとタカラは業務提携をしていたから、この変更は当然だったのだろう。

 『遊☆戯☆王』も、やはり『マジック』の影響から生まれたTCGだ。

 少年ジャンプで『遊☆戯☆王』のマンガ連載が始まったのが1996年の42号(9月)からだ。いじめられっ子の少年・遊戯が、おじいちゃんから譲り受けた“千年パズル”を解いて闇の力を得、別人格に変身して不良をやっつける、という話だった。

 ぼくは好きだったけど、人気はいまいちだったらしい。途中から登場した架空のカードゲーム『マジック&ウィザーズ』によるカードバトルという設定を導入してから人気が沸騰した。コナミがこれをもとに『遊☆戯☆王 オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ』を発売するわけだ。TCG『遊☆戯☆王 オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ』の人気はすさまじく、世界でもっとも多く売れたカードゲームとしてギネス認定を受けている。

 いまにつながるカードゲームの時代の先駆けに『マジック』があって、『ポケモン』と『遊☆戯☆王』に並ぶ人気を得たTCG『デュエル・マスターズ』がこの時代のタカラから発売されたことを言いたくて、長々と寄り道をした。次回は『ベイブレード』の話などをしようと思う。
【毎週火曜/金曜夜に更新予定です】

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