連載コラム“おもちゃとゲームの100年史 創業者たちのエウレカと創業の地と時の謎”第32回
7-3 苦悩するおもちゃ業界
話題を出版業界からおもちゃ業界に転じよう。
90年代半ばに始まる人口の波による国内の消費不況の悪しき波は、当然おもちゃ業界をも襲う。日本玩具協会が、おもちゃショーの開催に合わせて毎年発表している『日本国内の玩具市場規模』のこの頃の市場の推移を掲載しよう。
90年代半ばに始まる人口の波による国内の消費不況の悪しき波は、当然おもちゃ業界をも襲う。日本玩具協会が、おもちゃショーの開催に合わせて毎年発表している『日本国内の玩具市場規模』のこの頃の市場の推移を掲載しよう。
日本玩具協会が、TVゲームを含まない10分類に分けたいまのかたちで統計資料を発表したのは、2001年からのことなので、残念ながら90年代半ばから2000年までの数字はない。しかし、90年代半ばに問屋・小売の倒産が相次いだことを考えれば、出版同様に右肩下がりが続いたと考えていいだろう。
グラフにあるように厳しい環境の中にあって、このあとバンダイ、タカラ、トミーのそれぞれの選択を描いてみたい。因みに、実は出版もおもちゃも、2014年以降は再び上昇に転ずるのだが、それに触れるのは、次章のお楽しみとする。
さて、95年以降の変化の中で、ぜひ触れておきたいのが、トイ&ホビー、そしてゲームの国内流通におけるその様態の劇的な変化だ。
戦後から80年代半ばまでは、おもちゃの小売りは百貨店か地域の一番店が主体だったものが、80年代半ばに靴や釣り具、地域スーパーなどの他業界からのロードサイドの大型店の進出があったことは前に触れた。
そして1989年には日本トイザらスが設立され、1991年にはその1号店荒川沖店(茨城県)がオープン、翌1992年1月の橿原店(奈良県)の開店には、当時の現職大統領であるジョージ・H・W・ブッシュ(パパのほう)が駆け付けて日本人を驚かせた。トイザらスは米国にとっては日米非関税障壁打破の象徴であり、日本のおもちゃ流通業者にとっては価格破壊の象徴だった。
2000年までの間にトイザらスは100店までその店舗網を広げ(2024年現在は全国約160店舗)、他業界のロードサイド店舗まで駆逐する勢いだった。この時期におもちゃの業界では倒産や併合が相次いだ。2000年には玩具店チェーンのBANBANを展開していた靴のマルトミが事実上倒産した。2003年には日本を代表する玩具問屋のツクダの民事再生法の申請、三ツ星商店の自己破産があった。
ツクダオリジナルはバンダイに売却され、いまはバンダイナムコグループのメガハウスの一事業部に引き継がれた。名古屋の老舗問屋の服部玩具は2005年にタカラの完全子会社となり、大阪の老舗玩具問屋モリガングは2006年にハピネットの完全子会社となった。2007年にはさくらトイスをはじめとする老舗の玩具小売チェーンのいくつかが廃業している。2008年はおもちゃのハローマックのチヨダが玩具から撤退した。これらすべての原因がトイザらスにあるとは言わない。
2002年2月から2008年2月まで、日本は“戦後最長の好景気”と言われたのを、読者は記憶されているだろうか。戦後の高度成長期の“いざなぎ景気”を期間において超えたことから“いざなみ景気”と称された。日本経済が好景気なのに国内のあらゆる需要が減退しているから全国各地にシャッター街が現出した。需要不足がおもちゃに限らずあらゆる生活財に及んだことは前に書いた。
あらゆる小売業が売上減を余儀なくされる中で、2000年には百貨店のそごう、スーパーの長崎屋が、2004年にはダイエーが破綻し、2005年には西友がウォルマートの傘下に入った。そのウォルマートも日本市場を撤退し、いま西友は投資ファンド傘下にある。
こうした変化のなかで、新勢力として台頭したのが小売りでは家電量販店、そしてAmazonに代表されるネット通販、これらの動きに呼応したハピネットだ。
最初に家電量販店でおもちゃを扱ったのは上新電機で2001年に始まる。大阪の日本橋(にっぽんばし)のジョーシン本店に取材した記憶がある。大阪の日本橋は、東京でいう秋葉原のような土地柄で、オタク系の商材を扱う店舗がそれ以前から多かった。
その後ビックカメラ(2001年)、ヤマダ電機(2005年)、ヨドバシカメラ(2007年)が扱いを始め、玩具とホビーは家電量販店で買うのが当たり前になった。GMS(General Merchandise Storeの略。総合スーパーと訳される)ではイオンが、ベビー用品、玩具、文具、アミューズメントのキッズ共和国を2003年から展開し始めた。
おもちゃのインターネット通販の時代を予見してソフトバンク、ヤフー、ハピネット、おもちゃ大手4社(エポック社、バンダイ、タカラ、トミー)などが出資してスタートした“イー・ショッピング・トイズ”は、1997年に開業し99年には株式公開して、ITバブル期に成長を見せたが、ドットコムバブルの崩壊とAmazon、トイザらス連合との激しい競争に敗れて撤退した。
このようにおもちゃの小売り環境は激しく変化した。街の景色もネット上のサービスの担い手もどんどん上書きされ、昨日の痕跡さえない。いま当たり前に見えるものはじつは尋常でない変化の堆積のうえに成っている、と思い知る。
またまた余談だが、ぼくが子どものころにあった静岡県富士市の模型店・湖月堂が、いまだに元気にお店を運営している話を以前書いた。同じく吉原本町にある玩具店おもちゃのキムラも、ぼくの子どものころからやっている老舗玩具店でいまだ健在のようだ。
ぼくは木村屋さん(と昔は言った)で、三輪車や、煙を吐くロボットを買ってもらい、店頭に陳列された鉄棒をくるくる回るブリキの体操選手のおもちゃを、飽かず眺めたものだった。木村屋のおじさんもおばさんの優しい人だった。ネットで検索すると、いまのキムラは、知育玩具の品揃えがよくて、カードゲームが遊べるスペースやミニ四駆のコースなどがあって高評価だ。いまも面倒見がいいのだろう。うれしいことだ。