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『鬼滅の刃 柱稽古編』最終話(8話)感想。産屋敷と無惨、“鬼殺隊最強”の名に相応しい岩柱の戦闘…見どころが多すぎた最終話。『無限城編』が待ち遠しい(ネタバレあり)

文:米澤崇史

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 2024年6月30日(日)に放送された、TVアニメ『鬼滅の刃 柱稽古編』第8話“柱・結集”の感想をお届けします。

【注意】キービジュアルより先のテキストでは、『鬼滅の刃 柱稽古編』第8話の物語に関する記述が多々あります。そのため本編をご覧になってから読むことをオススメします。[IMAGE]

妻と娘ごと自爆した産屋敷。それを前にした無惨の“人間らしさ”と“人間への理解の浅さ”

 一時間放送というスペシャル拡大枠で放送された『柱稽古編』の最終話。

 7話のラストではついに無惨が産屋敷邸に姿を表しましたが、その無惨と産屋敷の対話は、直接剣を交えてこそいないものの、まさにこれから行われる人間と鬼の総力戦の幕開けを告げる最初の"戦い”と言ってもいいくらい見ごたえがありました。


 自分の存在を永遠にしようとする無惨に、“人の想い”こそが永遠であると告げる産屋敷。無惨の死によって鬼たちが滅ぶのに対し、産屋敷が死んでもその想いを受け継いで戦い続ける鬼殺隊はまさに対照的なのですが、無惨と対比になっているのが産屋敷個人ではなく、“鬼殺隊”という組織全体になっているのが面白いなと。

 とくに『柱稽古編』は、組織としての“鬼殺隊”を描いたエピソードで、柱や炭治郎たち以外の隊士たちも、それぞれ強い信念をもって志願しているということが改めて描かれていたのもあって、無惨を倒すのが鬼殺隊全員の想いだ、という産屋敷の宣言にはグッと来ました。

 その上で、“想い”という良さげな響きの言葉を使ってはいますが、その正体は正義とか愛ではなく、無惨への怒りや恨みという、一般的にはネガティブに描かれがちな感情になっているのが『鬼滅の刃』のすごく独特な部分でもあります。


 そんな産屋敷が最後にとった行動が、自分の命を囮にして、後の戦いが少しでも楽になるように無惨を足止めすること。

 自分は原作を読んでいるので当然このオチは知っていたわけですが、スローモーション演出からの爆発シーンは想像していた以上の迫力があって度肝を抜かれました。生き残るつもりは微塵もなく、無惨に少しでも多くのダメージを与えるため、過剰といえるほどの爆薬を用意していたんでしょうね……。

 ただ、ここでなんといっても衝撃的なのは、産屋敷が妻のあまねや娘のひなき・にちかごと自爆を試みたことですよね。自爆後に無惨が「妻と子は承知していたのか……?」とやや引いたような素振りを見せるシーンは、めちゃくちゃ印象的です。

 筆者自身も、このシーンを最初に読んだ時は無惨と同じように「産屋敷さんやばい」というリアクションだったのですが、産屋敷耀哉というキャラクターをよく考えてみた時、鬼を倒すために冷酷な判断を下すこともあれど、鬼殺隊の面々に対しては心からの深い愛を抱いていた人物でもあるんですよね。

 それが肉親であるあまねやひなき達にないはずはなく、必要がなければ絶対に彼女らを巻き込むことはしないと思うんです(ひなき達を見て無惨の戦意が削がれたり、一定の効果はありそうでしたが、産屋敷本人とあまねがいれば十分成り立ったはず)。

 そうなると可能性として残されるのは、「承知していた」どころではなく、あまね達が自ら望んで産屋敷と最期を共にしたという線。「愛する人と一緒に逝きたい」というのは、ある程度理解できる感情だと思います。


 一方、無惨は自分の命以外に価値を見出していない存在です。その無惨の価値観では「産屋敷が無惨を倒すために妻子を巻き込んだ」とは考えられても、「あまね達が自ら望んで最期を共にした」という可能性にまでは至れないのではないでしょうか。

 あまね達を巻き込んだことに驚愕するシーンは、無惨を産屋敷以上に"人間臭く”描きながら、同時に無惨の“人間への理解の浅さ”みたいなところも仄めかされていて、本当に秀逸なシーンだと思います。

ついに始まった無惨と鬼殺隊の最終決戦。『無限城編』が今から待ち遠しすぎる


 その産屋敷邸爆破からの後半部分は、もう見どころのラッシュというべき展開でした。

 かつて炭治郎たちと共に助けた浅草の男性の血鬼術で無惨の動きを止めて、完成した鬼を人間に戻す薬を捨て身の覚悟で吸収させた珠世。柱の中で唯一事前にすべてを伝えられ、ずっと攻撃の機会を伺っていた悲鳴嶼。それぞれ産屋敷の死に衝撃を受けつつも、やるべきことを見失わず、無惨への一斉攻撃を試みる柱たちと炭治郎。


 どのシーンも作画・キャスト陣の熱演が尋常ではなく、本当に興奮しっぱなしだったんですが、個人的にとくにカッコよかったのが悲鳴嶼の戦闘シーンです。『柱稽古編』でも、悲鳴嶼が鬼殺隊最強であることは何度か語られていましたが、実際にその強さが披露されたのは今回が初。

 一撃で無惨の上半身を丸ごと消し飛ばし、それでも復活する無惨の全方位攻撃に超スピードで対処(ここのアクション作画も本当にすごい)、柱たちが到着したら、産屋敷の自爆は伏せ、無惨が手を掛けたことにして柱たちの無惨への戦意を高めるという、実際の戦闘だけではなく冷静な判断も含めて完璧な立ち回りを演じています。

 間違いなく柱の中でこの役割ができるのは悲鳴嶼だけで、産屋敷がどれだけ悲鳴嶼を信頼していたかも分かります。


 無惨との会話の中で産屋敷は「自身の命には大した意味がない」とも告げていましたが、結果を見てみると、一番効果的な形でその自分の命を活用しているんですよね。

 もし産屋敷が医者に宣告された通りに半年前に死んでいれば、この状況は作れなかったわけですが、おそらく産屋敷はずっと前から自分の命を鬼殺隊のために使うことを決めていたのでしょう。珠世の協力を得られたこと、鬼殺隊も強くなったことで、自分の命がもっとも効果的に使えるタイミングが来たと判断したのかなと。

 そう考えると、無惨と戦う鬼殺隊を少しでも楽にするため、病に屈さずここまで執念で生き延びてきた産屋敷は、直接戦闘に出ることはなくても、ずっと鬼と戦ってきた一人だったんだなと改めて感じます。

 鬼殺隊に入ったことで命を落とした隊員も少なくはないでしょうし、もしかすると鬼との戦いに若者達を巻き込んだ、産屋敷なりの贖罪という面もあったのかも……と想像したりもしています。


 とはいえ、対する無惨も事前にしっかりと備えはしており(このあたりの用心深さもまさに無惨らしい)、その場にいた柱たちだけではなく、本部にいた鬼殺隊丸ごと鬼たちの拠点である無限城へと引きずり込まれることに。

 無限城の空間演出とか、落下していくシーンの目まぐるしいカメラアングルとかすごいシーンはいくらでもあるのですが、やっぱり印象的だったのは完全に覚悟完了した顔で落下していく善逸ですね……!

 村田たちや玄弥はともかく、柱たちですら無限城に引きずり込まれたのに困惑しているのに、善逸だけは一切動揺する素振りを見せないのが衝撃的。いつもの善逸だったら、誰よりも情けない悲鳴を上げながらギャグっぽく落ちていってたでしょうし、普段とのイメージとのギャップがさらにそのカッコよさを高めています。

 ラストは、「地獄に行くのはお前だ」からはじまった、無惨を絶対に倒すという炭治郎の決意表明で締めくられましたが……やっぱり、ここで終わるのは生殺し感がすごい! ここで切られると、もう来週から『無限城編』を放送してくれないと我慢できないみたいな気持ちになりますよ……!


 改めて『柱稽古編』を振り返ると、8話という短い間ながらオリジナルのエピソードが多数盛り込まれていたり、原作とは少し違った印象を受ける映像化にもなっていました。

 とくに一般隊士と炭治郎・柱たちとの関係性の掘り下げは、今まであまり描かれてこなかった部分なので新鮮でした。無惨と決着をつけるのは炭治郎個人ではなく、鬼殺隊という組織だというのがより分かりやすく伝わるようになっていたのが非常に良かったなと。

 本編終了後には、大正コソコソ昔話で煉獄さんが決戦に赴く炭治郎と甘露寺を激励したり、さらに『無限城編』の劇場アニメ化が決まるというサプライズも興奮しました。

 どちらにせよ「さぁこれからだ!」というところからしばらく待たないといけないのは辛いところではあるのですが、あの鬼やあの鬼との対決が劇場のスクリーンで見られると思うと、今から自然とテンションが上がりまくり。それまでは改めて原作の『無限城編』を読み直して心を燃やしつつ、映画の情報を待ちたいと思います。



米澤崇史:ロボットアニメとRPG、ギャルゲーを愛するゲームライター。幼少期の勇者シリーズとSDガンダムとの出会いをきっかけに、ロボットアニメにのめり込む。今もっとも欲しいものは、プラモデルとフィギュアを飾るための専用のスペース。

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