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1999年以降のバンダイの軌跡を読み解く。鵜之澤伸がゲーム開発の現場に示した“3つの提案”とは?【佐藤辰男の連載コラム:おもちゃとゲームの100年史】

文:佐藤辰男

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連載コラム“おもちゃとゲームの100年史 創業者たちのエウレカと創業の地と時の謎”第34回

7-5 バンダイ 後継者たちのエウレカ

 1996年に、山科誠の要請で三和銀行から転職してきた高須武男はバンダイの米国法人の社長をしていたが、山科誠の退任に合わせて常務取締役管理本部本部長に昇進し、茂木社長の下で経営再建に従事した。

 1997年3月期で営業赤字に転落したのちに、高須は常務となる。翌98年3月期に連結で黒字化するものの単体は赤字、社長に就任した99年3月期の業績は、売上2,322億円、経常損失47億円、当期純損失163億円(『たまごっち』の過剰在庫による特別損失60億円を含む)という厳しいもの。

 高須は、2003年3月期を最終年度とする3カ年の中期経営計画を発表し、“選択と集中”をテーマにグループ再編成などを積極的に実施し、また、事業面では海外市場への展開やネットワーク事業の拡大などを手掛け、以下のようなV字回復を達成する。

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 この間、バンダイネットワークスの設立(2000年)、バンプレストの上場(東証2部2000年、東証1部2003年)、バンダイビジュアルの店頭公開(2001年)、セイカノートへの出資(2000年)、ツクダオリジナルへの出資(2002年)など企業活動は委縮を見せなかった。

 この時期のバンダイは、男児・女児キャラクター玩具、『たまごっち』のようなハイテク玩具にTVゲーム、そしてメディア事業とまんべんなく好調で、そのV字回復は高須の経営手腕による。高須はさらなる高みを求めて2005年にナムコとの経営統合を果たすが、その手前で、経営統合後の“IP軸経営”を支えたゲームを中核としたデジタル展開が、この時期開花していたことを示しておきたい。それは山科誠の志があってこそ、という面もあったと思う。

鵜之澤伸がゲーム開発の現場に示した“3つの提案”とは?

 ゲームのほうに目を向けてみよう。1999年4月に鵜之澤伸がビデオゲーム事業部部長に就任したのは大きな動きだった。鵜之澤は1981年にバンダイに入社した。同期にはのちにバンダイナムコエンターテインメントの社長となる宮河恭夫、ポピー入社でのちにバンダイビジュアル社長となる渡辺繁がいる。

 鵜之澤はガンプラの営業職からスタートし、バンダイのアニメ事業で実績を残すも『ピピン』の立ち上げの当事者となって数年後には自らこれを閉じる、その後はデジタルエンジンの“後始末”に奔走するという、出入りの激しい会社人生を歩んだ人で、この期に及んでゲーム事業を任されたことは、背負った『ピピン』のマイナスを“返済”するチャンスと意気込んだ。

 着任する3カ月前の1999年1月にPS1用『デジモンワールド』シリーズ第1作が発売された。これが、3月からフジテレビ系で放映されたアニメ『デジモンアドベンチャー』の影響で人気が沸騰し、鵜之澤の着任後も毎月5万本のリピートが来て幸先の良いスタートを演出してくれた。

 もともと『デジタルモンスター』は、『たまごっち』と同類のキーホルダー型携帯ゲーム機(1997年6月発売)だ。アニメ人気がTVゲームの販売を後押しした。ちなみにTV放映と同時に『劇場版デジモンアドベンチャー』が公開されたが、こちらはのちに角川映画『時をかける少女』を監督し広く知られるようになった細田守の初監督作品だ。20分の小品だが繊細で美しい作品だった。

 バンダイのいまに至る代表的なIPは、さまざまなメディア展開、マーチャンダイズによって生命が吹き込まれ再生する。『ガンダム』しかり『ドラゴンボール』しかり、『デジモン』もそういうIPのひとつとなった。

 さて、鵜之澤は、バンダイのゲームが、ともするとキャラクターの力に頼り、ゲーム性に問題ありとの烙印を押されることを打開しようと、現場に“3つの提案”をする。

 ひとつはこれまでの発売日優先主義を止めてクオリティ優先とすること。ふたつ目はデベロッパーとその作品の水準を見るためにパイロット版を制作し、そのクオリティで発売の可否を判断すること。3つ目は版権元が原因(主に過剰な忖度(そんたく)による)で発売できない、品質が落ちるという言い訳を現場に禁じること。以上の3点だった。

 これらは、複数の版権元の権利が絡み、かつ製問として開発を外部に委託するおもちゃ会社、バンダイ独特の立ち位置の、負の側面を払拭しようとするものだった。納期を守ることをデベロッパーに求めることはよき伝統だろうが、ゲームのように時間を掛けるほうが品質の向上につながる世界では時としてマイナスとなる。アニメで当たり前だったパイロット版の制作を前提とすることは、デベロッパーにもバンダイ側担当にも好評だった。

 “版権元への過剰な忖度”とは、例をあげるとわかりやすいかもしれない。

 2001年に発売された格闘ゲーム『From TV animation ONE PIECE グランドバトル!』は忖度(そんたく)によってお蔵入りになるかもしれなかったと、鵜之澤本人から聞いた。デベロッパーが、そのゲーム性を高めるためにキャラをSD(スーパーデフォルメ)化したのだ。

 しかしそれは原作側からクレームが付くことが懸念された。ゲーム化、TVアニメ化、劇場映画化など利害関係者が多く絡むケースでの原作側と制作側との間に立った調整は難しい。しかし、この作品は鵜之澤が、当時『少年ジャンプ』の編集長だった鳥嶋和彦に直談判して発売にこぎ着けた。むしろ鳥嶋はSD化されたキャラの動きを喜んでくれたという。

 鵜之澤がビデオゲーム事業部部長に着任した1999年は、PS1後継機のPlayStation2(以下PS2)の発売(2000年3月)を間近に控えていた。PS2はゲーム機として最先端で、DVD再生機能も付いて割安だった(本体とともに時期を同じくして発売された映画『マトリックス』のDVDがよく売れた)から、爆発的な売れ行きを示した。先進的なゲーム開発会社は勇んでPS2のゲーム開発に取り組んだ。実際同機は、のちに販売台数1億5,500万台という世界で最も売れた据え置き型ゲーム機となった。

 このころ、ぼくたちのメディアワークスには、ハドソンから移籍したゲーム市場の分析部隊があった。その部隊が(記憶では)ファミコン、スーパーファミコン、PS1などのゲーム機の普及台数と値下げの関係、それに伴う代表的なソフトの販売量の変化などをグラフ化した資料を作って社内のセミナーで発表したことがあった。

 ゲーム機は世に出た途端に陳腐化の道を歩むが、デファクトスタンダードを取ったゲーム機は値下げとともに普及台数が増し、ソフト販売も加速する。99年段階でPS1は余命短いゲーム機と思われていたが、その年には15,000円まで実勢価格が下がり、PS2が発売されてもまだPS1用にソフトを開発することは戦略としてはアリだと、そのグラフは示していた。
いまはもうその資料は手元になくて残念だが、たぶんその資料を、ぼくが自慢げに鵜之澤に示したのだろう。

 カプコン、ナムコ、フロム・ソフトウェアなどの先端メーカーがPS2の先進性に惚れてローンチソフトを出していくなかで、鵜之澤は資料が提示する意味を理解し、PS2の値下げ(2003年11月に旧型を25,000円から19,800円に改定した)までは、PS1ソフト開発に専念することにした。

 各社のこの手の選択の違いは、どちらが正しいかということではなく、先進的な自社開発部隊を持つゲームメーカーと、主に外部のデベロッパーに依存するバンダイとのあり方の違いだったかもしれない。

 バンダイにとってこの選択の副産物は、これまで取引のなかった優秀なデベロッパーを取り込むことができたことだった。PS2の開発には新たな高い技術力と資金力が必要だったから、優秀でもすぐにはPS2に移行できないデベロッパーが多数存在した。そういうデベロッパーのなかに、バンダイキャラで育った開発者たちがいた。

 そんな経緯で『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『仮面ライダー』などのバンダイを代表する人気キャラクターのPS1向けゲームソフトが発売されていったが、優秀なデベロッパーも増え、グループ内の開発力もレベルアップし、徐々にバンダイのゲームの評価が高まっていった。

 オリジナルゲーム『.hack』は、長くアニメを手掛けてきた鵜之澤の真骨頂だった。Webメディアの電ファミニコゲーマーに、その開発秘話となる田中圭一のマンガ
『若ゲのいたり ゲームクリエイターの青春 サイバーコネクトツー編』が掲載されている。

 『.hack』はサイバーコネクトツーが開発を担当したが、社長の松山洋の要望で、キャラクターデザインにエヴァンゲリオンの貞本義行を鵜之澤が調達し、同じメンバーによるオリジナルアニメを制作しゲームと同梱して4部作として売るという異例の戦略を取った。ゲームを売るためにKADOKAWAグループ各社がマンガや小説を展開し、TVアニメ化もされ、その後シリーズ化もされ、バンダイにとってはオリジナルから育った重要なIPとなった。サイバーコネクトツーはその後、『少年ジャンプ』の人気マンガ『NARUTO』、『ジョジョの奇妙な冒険』のゲーム化を手掛けることになった。

 いよいよ『少年ジャンプ』作品のPS2用ソフトを開発することになって、2002年夏の発売を目指し、最初を飾るIPとして選ばれたのが『ドラゴンボールZ』だった。
【毎週火曜/金曜に更新予定です】

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